10月の「朝の教室」、講師が決まりました。
ずっと講演をお願いしたいと望みながら、朝早くのご講演はご負担ではないか、
お身体をこわしたらと遠慮していたのだが……。
妙な言い方だが、「もう、待てない!」という思いで、スタッフに依頼してもらった。
講師は、環境哲学者であり、生物学者であり水俣にも深く関わった社会学者であり、
評論家でもある最首 悟さん。
1936年のお生まれでいらっしゃるから、80歳。9月に誕生日を迎えられたはずだ。
東大教養学部の「助手時代に助手共闘」を結成されて、全共闘運動に参加。
その後も原田正純さんたちと水俣廟病の問題に積極的に取り組まれてこられた。
娘さんの星子さんが障がいがあることから、障がい者の置かれた「社会」、
その「環境」についても深くかかわっておられる。
7月に、相模原の障がい者施設で、障害のある人19人が殺害された事件の時、
最首 悟さんのお話しをじかに伺いたいと切に願いながら(新聞の記事は拝読したが)
わたしの中にはある種のためらいがあった。前述の朝早くに、ということもあるのだが。
わたしは現在は一応「健常者」を生きている。
健常者であることは多くの場合、「一時的なもの」であり、この先はわからない。
だから、障がい者に対する差別に反対するのか?
それでは一生健常者であるなら、障がいのあるひとへの差別は見過ごすことができるのか?
わたし自身が、この国のこの社会に婚外子として生まれたこと。
わたしは「ひとりの子ども」として生まれたのだが、
婚外子ということで、屈辱的な思いをしたいくつかの体験もあった。
が、そうだとしても、あらゆる差別に反対というわたしは、
いつ、どこで、どのようにしてわたしになってきたのか。
差別に反対するわたしの内側にも、自分も気づいていない差別の「ねじれ」のようなものはないか……。
「ねじれ」については、いつかまた記したいと思う。
「異質」を排除する社会は、ナチスを持ち出すまでもなく、無念なことに、これからさらに
深まっていくのではないかと思う。
残念ながら、そういう社会であり、そういう政治をわたしたちは持ってしまった。
相模原事件とこの社会は、どこでどのように結びつくのか。
「異常な容疑者」の「異常な事件」として引き出しの中に片づけてはならないとわたしは考える。
この社会のどこにも、教育の場にも、ファストフードの店頭にも、匂い桜が淡い紅色の花をつけた庭にも、「事件」にはならないけれど、明らかな「差別」、その意識は蔓延していないか?
ひとはもともと「自分」という少数派を生きて、それを生ききる権利と責任があると思うが。
そんなことをご一緒に考えたい、学びたい。
最首悟さんが書かれた『星子が居る 言葉なく語りかける重複障害の娘との20年』 (世織書房)を拝読したのは、17.8年前だったか。
「差別反対」と異議申し立てをしたこと(それも大事だが)、そこにたどり着いたことで思考を停止させず、ご一緒に考えてみよう。
わたしは何よりも自分の内側の深部と対面する時間にあてたい。
原発とエネルギーを学ぶ朝の教室
第76回 最首 悟さん(社会学者、和光大学名誉教授)
2016年10月29日(土)9:00~10:30 東京店B1 レストラン「広場」
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