今日から7月。
朝から小雨が降っている。鳥の啼き声が聞こえると
雨があがるのだが、今朝はまだその声を聞かない。
今朝の新聞に、シモーヌ・ベイユさんの訃報が掲載さていた。
フランスの女性政治家であり、元保健相、元欧州議会総長だった女性である。
30代~40代にかけて、わたしは各国の(といっても欧米が主だったが)フェミニズムの動きを学んだ。
現在のミズ・クレヨンハウスの土台はそのあたりから始まった。
米国にはグロリア・ステイナムやベティ・フリーダン(ふたりとは来日した際、お目にかかっているが)や
ジャーメン・グリアをはじめとして、大勢の女性たちが声をあげた頃だった。
そうだったロビン・モーガンもいた。
余談ながらお名前の日本語の表記がさまざまで、
正確かどうかはわからないが、
当時、フランスで目覚ましい活動をしていたひとりが、弁護士のシモーヌ・ベイユさんだった。
彼女はユダヤ人の家庭に生まれ、アウシュビッツ収容所から九死に一生を得て生還。戦後、法曹界で活躍を続けていた。
「優性保護法」(差別的な言葉であり概念だが)のもと、日本では人工中絶が合法的であった時代、欧米では合法化されていなかった。
当時の資料が見つからず、不確かな記憶で書くしかないが、
確か強姦されて妊娠した少女の堕胎を、母親とその女友だちのサポートで中絶の手術を受けて事件化。
被告になった少女(母親と女友だち、施術した女性が被告だったかもしれない。記憶は定かではないが)の弁護をしたのがシモーヌ・ベイユさんだったのではないか。
そのいきさつを描いた本が翻訳されて、熱心に読んだ記憶がある(これも見つからない)。
「金持ちは飛行機に乗って他国で。貧しいものは針金製のハンガーで」と酸鼻な状況が伝えられた日々。シモーヌ・ベイユさんはヴァレリー・ジスカール・デスタン政権下で合法化を成立。
彼女の名前をとってそれは「ベイユ法」と呼ばれた。
同じような発音をする哲学者であり思想家に、シモーヌ・ヴェイユがいる。
第二次世界戦争下でロンドンで亡くなった時、彼女は僅か34歳。
戦後になって彼女が遺した言葉や著作が刊行された。
その中でも、わたしが心打たれるのは以下の言葉だ。
「権力者は命令以外に、行為のすべを知らない」だったか。行為の方法だったかもしれないが、これも本が見当たらない。
今日は夕方から外での仕事だ。
それまでは書棚のどこかに隠れた本たちを探し、
苗を植え広げし、ゲラのチェックをしよう。
明日は都議会議員選挙。選挙は「命令以外の行為」、それも
かけがえのない行為、だ。
「原発とエネルギーを考える朝の教室」
2017年7月29日(土)
9:00~10:30 東京店B1 レストラン「広場」
高野孟さん(ジャーナリスト)
「いま、日本はどこに?」
「原発とエネルギーを考える朝の教室」
2017年8月26日(土)
9:00~10:30 東京店B1 レストラン「広場」
ピーコさん(ファッション評論家、、ジャーナリスト、シャンソン歌手)