きょうは午後から新幹線の短い旅を。
介護をテーマにした講演会。
ここ数年、講演会に参加する男性が少しずつだが増えているような。
年代は六十代以上が多い。また、女性を介護の含み資産にしていた時代は確実に終わりに近づき、男性もまた、親や、場合によっては配偶者を介護する日々と向かい会う時代を迎えたに違いない。
いつも思うのだが、すべてのそれぞれの子どもが、
生まれてよかったと思える時代と社会はそのまま、
子どもからもっとも遠い年代にある高齢者が長生きしてよかった、と思える社会と時代だ。
介護を見つめることは同時に、高齢者の日々を見つめることと
どこかで重なるものかもしれない。
母を介護した個人的な体験のあれこれから、
可能な限り普遍化できそうなエピソードをまじえて話を進めているうちに、胸がいっぱいになった。
母のことを思ったからではない。お目にかかったことはない、
福島のご高齢の女性を思ったからだ。
福島第一原発の事故で、自分の家を離れざるを得なかった90代の女性。
いつもわたしの心の奥底にいるひとだ。
一日だけ家に帰ることが許可されたその日、「わが家」の庭で、自死された。
……年寄りは足手まといになるだけです。わたしはお墓に避難します……というような遺書を遺されて。
お元気で、自分のことはすべて自分でしていたかただったという。
遺された息子さんや娘さんたちも、どれほど無念なことだろう。
介護するハードさもむろんある……戦争に役立つものにお金などかけずに、福祉にこそ税金は使うべきものだと思うが……が、介護する心の準備はありながら、介護できずに見送ることの底知れない寂しさを、わたしは想像するしかない。
汚染水をはじめ、事故収束には程遠い現実。
昨日とは打ってかわった、風の冷たい一日。
昨日舞った雪は東京ではすでに消えていたが、新幹線の車窓から見える田畑はうっすらと雪をかぶったままだった。