「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2013年7月20日土曜日
7月20日
比較的しのぎやすい土曜日。
いま、静岡県清水市の講演から帰京したところだ。
いよいよ明日は参議院選挙の投票日だ。
与党が大勝した場合は(その可能性は大きいと言うが)、
原発は再稼働し、消費税は増税され、TPPへの参加も目に見えている。
いまもって、垂れ流される汚染水の処理さえできないまま。
いまもって、事故調でさえ「人災」と呼んだ福島第一原発の原因究明も宙に浮いたまま。
そうして、改憲へと雪崩を打って突き進むのか。
TPPに参加すれば、国家の主権など飛んでしまう。
外国の企業の利益のみのが優先されるだけ。
食糧に限らず、医薬で何か重大な事故が起きたとしても、
判決よりも何よりも海外の企業の利益が優先される社会で、
わたしたちの健康はどう守られるのだろう。
原発の再稼働にしても、TPP参加にしても、
国民の「いのち」は二の次,三の次、いやもっと後方に位置付けられる。
そして改憲。いよいよ「戦争のできる国」になってしまうのか。
いつだって、戦争で最初の犠牲者になるのは、
「もの言わぬ、市民の父であり、息子であり、夫」である。
オーストラリアのシンガーソングライター、ジュデイ・スモールの
「MOTHERS、DAUGHTERS、WIVES」の歌詞を思う。
父を、息子を、夫を、愛する男性を戦争に奪われた母であり、
娘であり、妻である女性たちの思いを歌った曲だ。
わたしたちは再び、あの日々を繰り返そうとしているのか。
そういう社会を、そういう国を、わたしたちは子どもたちに残そうとするのか。
選挙は未来の選択につながっている。
「いのち」からの一票の行使を。
衆参の「ねじれ解消」を与党は訴えている。
この「ねじれ」が解消されてしまったら、
独裁の時代に突入するだけだ。
妙な言い方だが、現在のこの国はにおいては、
「ねじれ」が辛うじて民主主義を支えているとも言える。
改憲も反原発も反基地も反TPPも
「ねじれ」そのものに、微かな期待をかけるしかないのだ。
与党を大勝させて、「ねじれ」を解消させてはならない。
それにしても、たとえば「反改憲」、「反原発」、「反基地」のせめて三本の柱で、
野党は柔らかな連携、選挙区の割り振りを考えることは不可能だったのか。
強力な与党に対抗して、「脱原発」を訴える候補者が何人も立つ地区では、
野党の候補者が互いに票を食い合い、結局は与党に利する形を作っている。
そのことを、それぞれの党の「選挙のプロ」は気付かないはずはない。
与党の姿勢にはむろん賛同できないが、
この地区では何党の誰それ、こっちでは、わが党の誰、というような譲り合いなしに、
与党に対抗する野党を育てることはできない。
それがなんとも無念だ。
それでも、やはり一票を行使しよう。