2014年8月10日日曜日

8月10日

昨日9日は長崎の原爆犠牲者慰霊平和記念式典だった
6日は、広島に向かう準備で、
後追いで記事を読むしかなかったが、昨日はテレビの前。
田上富久市長の平和宣言の中、
集団的自衛権の行使容認について、
政府に「不安と懸念の声に真摯に耳を傾けること」を要求した。「懸念」という表現は弱すぎるではないかという声もあるが、
政府と自民党主導の市議会を考えると、
精一杯の声明だったかもしれない。
被ばく者代表の城台美弥子さんの平和への誓いは、
事前に準備した原稿にはなかった文言も入ったと
今朝10日付けの東京(中日)新聞が報道している。
「出席した政治家たちを見て、黙っていられなかった」
と城台さんはおっしゃっている。
……いま、進められている集団的自衛権の行使容認は、
日本国憲法を踏みにじる暴挙です。
日本が戦争をできるになり
武力で守ろうというのですか?
武器製造、武器輸出は戦争への道です。
いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。
歴史が表明しているではないですか。
日本の未来を担う若者や子どもたちを
脅かさないでください……
 
平和のための思想と姿勢とは到底思えない、
現政権の「積極的平和主義」。
1942年、アメリカ合衆国の法学者が「消極的平和」と
ワンセットで唱えたという「積極的平和」という言葉と概念。
そしてノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが、
「戦争のない状態」を消極的平和とし、
積極的平和とは、戦争がないという状態だけではなく、
「貧困」やあらゆる「差別」等、
「社会的構造から発生する暴力がない状態」と定義。
平和学に限らず、
多くのわたしたちが考える「積極的平和」とは、
そういうものだ。
 
戦争がないことだけが平和なのではない。
あらゆる差別や格差、暴力と呼ばれるものの一掃こそ、
平和な暮らしの基本である……。
ずっと以前から、微力ながら言い続けてきたが、
この国は真逆の意味の
「積極的戦争主義」に向かっているような。
 
間もなく終戦の日。
次の、そのまた次の世代に、
戦争と平和を伝える拓かれた言葉をわたしたちは見つけたい。