「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2013年1月5日土曜日
1月5日
2013年、新しい年もすでに5日が過ぎようとしている。
こうして、あっという間に、時は滑り落ちていくのだな。
滑らせていいものと、決して滑らせてはならないものが
人の一生にはあるはずだが。
「あけまして おめでとうございます」という新年の挨拶が
スムーズにできないようになって2度目の1月。
暮れに珍しくダウンして、
遅ればせながら3が日に机の上や書類入れを整理していたら
いろいろな資料がでてきた、でてきた。
返事を書きたい手紙もまた。
その中に、O・Aさんという男性からの
「憤怒(いかり)を歌う」という17首のプリントも。
国語教師をされていたそうだが、
添えられた名刺の写真の彼は、スキンヘッド。
「沖縄慶良間諸島の無人島にて」と、エメラルドグリーンの海を背にして、
すてきなスキンヘッドが南の光にさらに輝いて、
「実は剃ってる」というコピーも添えられている。
さて、「憤怒を歌う」戯れ歌17首から、
わたしを大いに共感させてくれたうたは。
☆天罰と言いし男のゴーマンに 怒髪天衝くわれ禿頭(とくとう)なれど
☆ないゆえにわが初孫も被曝せり そはなにゆえに天罰なるや
☆一条のすべてを失くし悟りけり 日常こそが人のしあわせ
「いま」は、積み重ねられた過去の結果である。
とすれば、3年後、5年後に「2013年のいま」を振り返ったとき、
わたしたちは同時にどんな「結果」を手にしているだろう。
あの時、大人はなぜ黙っていたの?
なぜ何もしなかったの?
そんな問いかけを3年後の、5年後の、55年後の子どもからされないように、
わたしは「いま」を生きる。
昨夕、久しぶりに経産省前のテントひろばの決起集会に参加。
30分立っていただけでも、頭がガンガン痛くなるような寒さの中。
反原発の熱いメッセージは続いた。
諦めない、決して。
後戻りしない、決して……。
熱い生姜湯が冷えた身体にしみじみと美味しかった。