午後遅くになってから、クレヨンハウスに出社。
先週から引き込んだ風邪にまだつかまっている。咳がかなり酷い。
なんとなく熱っぽい。
風邪なのだから、仕方がない。食いしん坊のわたしには、食べものの味があまりしないことが無念だが。
今週は半ばから週末にかけて収録や講演会が続くので、ちょっと不安。早く治したいけれど、風邪が出ていってくれるのを待つしかない。それでも、講演などで話しはじめると咳は止るから、不思議だ。
先週末は、福島南相馬、飯舘方面に行ってきた。間もなくスタートする新聞連載の取材だ。
降りしきり雪の中。信号だけが点滅する、ひとけのまったくない通り。
雪のせいもあるだろうが、新幹線の福島駅周辺をのぞいては、
子どもや若者と呼ばれる年代のひとたちを見かけることはなかった。
「若いひとの姿を見るだけで、ほっとするのですよ。どんな格好をしていても、
どんなにやんちゃでも」
取材に同行してくださった支局の男性が、ふっと呟いた言葉が心に響く。志願して福島に異動したそうだ。
決して饒舌ではないが、静かな中に決して一過性にはしない持続する憤りを秘めておられるとお見受けした。
仮設住宅で暮らしながら、毎日、経営する理髪店に通うご夫婦にもお目にかかった。
「ひとりでも、ふたりでも、お客さんが来てくれるだけで、うれしいんです」
水道がまだ使えず、仮設住宅から毎日、水を積んで「出勤します」。
「ここでは料理できないから、お昼はカップ麺ばかり。それでも、
開けていてくれて、ありがとうと誰かが顔をだしてくれるだけで、やっぱり
うれしいんですよ。みんな、二時間三時間と長話をしていくし、あたしらも
それを歓迎しているんです」
貴重な水で、おいしいコーヒーをいれてくださった。
壁に貼られた米国の古きよき時代を描いたと言われるノーマン・ロックウェルのポスターが、目に染みた。
ここからは立ち入り禁止という、第一原発まで10キロの地点に辿りついた頃には、横殴りの雪。まだ若い警官がふたり、立ち入り禁止のフラッグを振っていた。
彼らは何を知らされ、何をミッションと教えられているのだろう。そして、知らされていないことはないだろうか。
1月25日号「ジャーナリスト第658号」には、「加速する原発取材への圧力」という小見出しで、写真家の尾崎孝史さんが詳しくレポートをされている。
早く原稿にしなければ焦りながら、さまざまな思いが交錯して、なかなか書きだせないでいる。
敢えてのアポなし取材だったが、お目にかかった方々の、含羞を含んだ
人懐っこい笑顔と温かな心遣い。
みな、あの日まで、今日の次には、今日とおなじ明日が続くと信じて
暮らしていたのだ。
奪われ、破壊されたのは、目に見えるものだけではない。人と人のつながり、人と地域や生業との関係性、自分であることのアイデンティテイさえも。
家々の庭には、かつてそこあった暮らしを支えた道具たちが「がれき」となって積まれたまま。住む人の気配のない家の庭。転がった植木鉢から、たぶん桜草だろう、葉だけがひょろりと伸びていた。