2014年3月10日月曜日

3月10日

3月11日。あの日から丸3年がたとうとしている。
東日本大震災という自然災害と、福島第一原発事故という紛れもない「人災」。
「あの日」と「あの日からの3年」。
わたしたちは何を自分に引き寄せ、自分で引き受けてきたのだろう。
体験が深い意味を持つのは、自己と他者、社会と個人との間に、そうした「行き来」を意識的に、また無意識下でも頻繁に行った時である。
国策として原発を推進してきたこの国は、現政府は、何一つ自らに引き寄せることはなく、再稼働の旗を振る。海外にまで輸出しようとしている。
どの国にも、どの社会にも福島と同じように多くの、それぞれの子どもが
「いま」を生きているにもかかわらず。
南米チリ初のノーベル文学賞作家、ガブリエル・ミストラルは言った。
子どもの血肉は「いま」作られているのだ、と。
子どもに、いつまで待て、というのだ。子どもに、いつになったら「安全」だと言うのだ。
3月11日を「記念日」にしてはならない。「式典」や「イベントがある日」にしてはならない。
「年寄りは足手まといになるだけです。私はお墓に避難します」
と記して、自らをこの社会から消すしかなかった、あの90代の女性の
無念さを、わたしはわたしに引き寄せる。
「原発の事故で死んだ人はいない」と述べた政治家の、
あまりにも鈍感な感受性を、わたしは憤り、そして恥じる。
「関連死」が3年たった現在も増え続けていることを知らないのか。あるいは目を逸らしているだけなのか。
終わりのない、この放射能との「戦さ」を、わたしたちは次世代、そのまた
次の世代に押しつけて、死んでいくのか。
被曝した汚染水の漏洩は止められないエライひとたちが、情報だけは漏洩させまいと強引に作った特定秘密保護法。そして、「戦争ができる国」へとこの国はひた走る。
何も自らに引き寄せず、何も自らで引き受けず、空疎な進軍喇叭を、けれど高らかに鳴らす人びと。
わたしたちも「当事者」ではなかったのか。福島第一原発で作られる電気をさんざん消費してきた当事者では。
わたしたちは忘れることを選んだのか。「気の毒なあのひとたち」と距離をとって。
わたしたちは何一つ責任を取ることも責任を問うこともやめたのか。
諦念と溜息と曖昧な微笑の下で。
子どもたちに、どうして言える。いのちを大切にしなさい、と。
子どもたちに、どうして言える。努力で未来は拓かれる、と。
わたしたちはまた、騙されることを選ぶのか。新・安全神話に。
やすやすと自分を明け渡し、今夜の食卓にのったフキノトウに舌鼓を打つのか。
権力に揉み手をして、媚びるのか。
本の中でしか知らない、田中正造を思う、賢治を考える。