2014年3月12日水曜日

3月12日

あの日から丸1日たった今日。
午前中から15時まで外での少々煩雑な仕事を終えて、クレヨンハウスへ。「終活」についての取材。「就活」とか「婚活」に続いて、「終活」か。
わたしは毎年1月1日に、リヴィングウィル、遺言書を書いている。
書くことで自分がいまここにあることを確かめ、深めたいと思ってのことだし、自分の生を「生き切る」(というほど大げさなものではないが)ために。
取材には、そんな話をした。

先日亡くなった米国のシンガーソングライター、ピート・シーガーについては新聞に書いたばかりだが、たまたま読んでいた本で、ピートやPPM(ピーター、ポール&マリー)などが世に広めた『勝利を我らに、WE SHALL OVERCOME』は、彼らがヒットさせた60年代より前にアフリカ系アメリカ人の教会などで歌われていた歌、『I WILL BE ALLRIGHT』というオリジナルがあったことを知った。『勝利を我らに』のメロディで口ずさんでみると、確かにすっぽりと収まる。
♪……わたしたちは 克服できる
     わたしたちは きっと克服できる いつの日にか
「克服」を「打ち勝つ」や「勝利を収める」と言い換えてもむろんいい。
そうして、わたしたちは「I AM BE ALLRIGHT」になれるのだ。その実現がいつであるかはわからない。わたしが生きている間は、その歌を歌うことはできないかもしれないが。
だから、諦めてしまうのか? NO!
だから、この状況に「順応」するのか? NO!!!!!!!!!!!!!!

まったくもって深呼吸をしにくい時代へと向かっている。
特定秘密保護法が、強行採決によって「法案」から法になったのが、去年の12月6日。そしていまは集団的自衛権の容認が大きなテーマになっている。
福島第一原発の過酷事故が、何ひとつ収束しないまま再稼働を云々する流れも、戦争ができる国への一歩である集団的自衛権の容認も、すべては市民の「いのち」と、そのいのちを「生き切る」ことへの侵害である。
DVを、子どもや高齢者への虐待を許することができないなら、国をあげての、これらの侵害を当然許容することはできないはずだ。
だから、わたしたちはOVERCOMEを目指したい。
そう、絶望はいつだってできる。だったら、わたしは絶望しない。
むのたけじさんはそれを次のようにおっしゃっている。
「絶望の真ん中に希望はある」と。