2014年4月7日月曜日

4月7日

土曜日は名古屋での、
秘密保全法に反対する集会で話をさせていただいた。
特定秘密保護法は昨年の12月6日に、
あれだけの反対の声をねじ伏せるように決まってしまったが、
むろん反対の声をわたしたちは挙げ続けよう。
声を上げ続けることが、わたしたちの意思表示であり、
「表現の自由」であるのだから。
風が冷たい一日で、風の乗って散ってきた桜の花びらを
雪かと勘違いしたほどだった。

関西のラジオ番組で、戦前、戦時下の秘密保護法についての放送があり、
その内容を報せてくれた関西のリスナーからのメールを読んでいて
ああ、宮澤さんのことが語られていると改めて考えさせられた。
1941年に「スパイ」と見なされ、特高によって逮捕された北大生、宮澤弘幸さん。
語学が得意で、米国人の教師とも交流もあったことなどが問題とされ、彼は逮捕をされた。
そんなことで逮捕されるの? どうして? 
これが保護法の恐ろしいところだ。

裁判は非公開。
何が秘密にあたり、その秘密の何に彼が抵触したのかも明らかにされないまま、
宮澤さんは終戦後、1947年に27歳で死去された。
30年近く前に何度か、宮澤さんの妹さんである美江子さんや、
彼の弁護士であった上田誠吉さん(故人)も交えてインタビューをさせていただいた記憶がある。
当時、制作にもかかわっていた、「ちょっと待ってMONDAY」という日曜の夜の生番組だった。
宮澤さんと親交があった米国人の教師レーン夫婦も逮捕され、
人生を大きく転換させられた事件であった。
この経過については、朝日新聞、東京新聞等でも報道されているが、
わたしたちは今後再び、何が秘密なのか、
何が罪になるかもよくわからない法律と「共に暮らす」ことになる。