チェルノブイリ原発事故から、今日26日で30年を迎える。
その前にアメリカ合衆国スリーマイルアイランドの事故もあった。
が、チェルノブイリのそれは最悪の事故として、この狭い国土に
これほどの原発のある国に生きるわたしたちにも、大きな衝撃を与えた。
懸命に勉強をした。
市民科学者の高木仁三郎さんを講師にお迎えして、
クレヨンハウスで学習会もたびたび開いた。
……何という悲しい時代を迎えたことでしょう。
今まで、自分の子どもに、家族に、ごく少量ずつでも、
何年か何十年かのちに必ずその影響が現れてくるという毒を、
毎日の三度、三度の食事に混ぜて食べさせている母親がいたでしょうか……。
そんな言葉で始まる、福岡在住の
甘蔗珠恵子さんが書かれたブックレット『まだ、まにあうのなら―私の書いたいちばん長い手紙』を手にデモにも行った。
けれど、多くのわたしたちはチェルノブイリの事故から多くを学ばないまま、
また、学んだとしても社会を変えることはできないまま、
2011年の東京電力福島第一原発の事故を迎えてしまった。
30年前、40代に入ったばかりだったわたしは、
古巣の文化放送で『日曜の夜はテレビを消して ちょっと待ってMONDAY』
という番組をかつての同僚である女性たちと制作していた。
月曜を意味するMONDAYに、
MAN、男優位の日々を重ねたタイトルだった。
「山の動く日きたる」というコピーのもとに、
女性議員が数多く当選した頃でもあった。
夜の10時(だったか)スタートの生放送にもかかわらず、
筑紫哲也さん、野坂昭如さん、土井たか子さんも出演してくださった。
現在もご一緒に活動をさせていただいている澤地久枝さんは
ゲストとしてたびたびご出演くださった。
2時間のその番組に、喋り手も兼ねて参加したわたしだったが、
番組では何度もチェルノブイリの特集をした。
専門家のご意見も紹介した。
青森で「核燃まいね」の活動をしている若い女性とも知り合って、
何度も電話で番組に出演していただいた。
しかし、わたしたちは東電福島第一の原発事故を迎えてしまったのだ。
甘庶さんとも、「核燃まいね」の彼女とも東電の事故後、お目にかかっている。
さて、どうするわたしよ。そしてあなたよ。
新たなる安全神話はすでにできている。
さて、どうする!!
北海道5区の補選、残念!