快晴とは言えないまでも、晴れて暖かな水曜日だった。
午前中は洗濯機を回しながら原稿を書く。
これを書く、と決まれば、そして書き出せば早いのだが、
東京を離れる日が続いてちょっと疲れているせいか、
とりかかるまで時間がかかる。
午後は打ち合わせや会議のために、クレヨンハウスに。
なんだか久しぶり。薄い光が差すテラスで、あたたかなココアを飲む。
白い山茶花が、雪のひとひら(ポール・ギャリコの同名の作品があったが)のように、煉瓦の道に花びらを散らしている。
ポール・ギャリコの世界とも、ずいぶんご無沙汰している。
凛として、深くあたたかな物語に出会いたい、としみじみと思う。
こんな不安で不穏で不安定な時代こそ、物語や音楽、哲学が、こころにはほしい。
「不可欠」とか言った表現であらわされるそれではなく、
猛烈な渇きとしてのそれではあるが。
脅しとしか呼びようのない、電話が続く。
脱原発の活動がそんなに目障りなのか。
それだけのパワーを「1000万人アクション」が持ちつつあるのなら、意味があるのだが。
明日から12月。
東日本の冬が、そこに暮らす人々ひとりひとりの喪失の悲しみの中に
ほのかな明日に繋ぐ希望が見えることを祈るしかないのか。
ゲラ校正で何度も読み返して、どのテーマがどこにあるのかもほぼ暗記してしまった
山田真さんの『小児科医が診た放射能と子どもたち』を読み返す。
「朝の教室」では、いつもと変わらぬ静かな語り口ではあったが、
ひとつひとつの言葉や行間にこめられた、山田真さんの慟哭がこころに突き刺さる。
非力すぎる自分がこのうえなく悔しい。
「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2011年11月30日水曜日
2011年11月29日火曜日
11月29日
今日は宇都宮で、介護をテーマとした講演だった。
母の介護から見えてきた、この国の政治や福祉への
じれったい思いはもとより、介護保険について、
そして介護職に就かれているかたがたの、
給与問題などについて話をした。
が、原発のことも触れないわけにはいかない。
福島で現在、どれだけの介護を必要としているひとがおられ、
それぞれの要介護度がどのレベルなのか、
正確な資料を探しているのだが、なかなか見つからない。
在宅で介護をしている家族とされているひとがどれほどで、
施設などに入っておられるひとがどれくらいで……と調べても
正確な数字にたどりつけないでいる。
わたしの調べかたが足りないか、
間違っているのかもしれないが。
宇都宮は、わたしの郷里である。
シングルでわたしを産んだ母の郷里でもある。
その地で、介護について話をするのは
五年前の夏に見送った母への、
まだ思い出にはならない思いを、手繰り寄せるような行為でもある。
「脱原発は、子どもや、これから生まれてくる子どもたちはもちろんのこと、介護を必要としているお年寄りが、心安らかに今まで暮らしてきたところで老いていくためにも必要なもんなんですね」
母親を見送ったばかりだとおっしゃる女性から、
そんな風に声をかけられた。
今日の郷里は、曇り空だったけれど、気温は高め。
母を思い、ふっと泣きたくなる夕暮れだった。
母の介護から見えてきた、この国の政治や福祉への
じれったい思いはもとより、介護保険について、
そして介護職に就かれているかたがたの、
給与問題などについて話をした。
が、原発のことも触れないわけにはいかない。
福島で現在、どれだけの介護を必要としているひとがおられ、
それぞれの要介護度がどのレベルなのか、
正確な資料を探しているのだが、なかなか見つからない。
在宅で介護をしている家族とされているひとがどれほどで、
施設などに入っておられるひとがどれくらいで……と調べても
正確な数字にたどりつけないでいる。
わたしの調べかたが足りないか、
間違っているのかもしれないが。
宇都宮は、わたしの郷里である。
シングルでわたしを産んだ母の郷里でもある。
その地で、介護について話をするのは
五年前の夏に見送った母への、
まだ思い出にはならない思いを、手繰り寄せるような行為でもある。
「脱原発は、子どもや、これから生まれてくる子どもたちはもちろんのこと、介護を必要としているお年寄りが、心安らかに今まで暮らしてきたところで老いていくためにも必要なもんなんですね」
母親を見送ったばかりだとおっしゃる女性から、
そんな風に声をかけられた。
今日の郷里は、曇り空だったけれど、気温は高め。
母を思い、ふっと泣きたくなる夕暮れだった。
2011年11月28日月曜日
11月28日
年賀状をどうするか、という朝日新聞の取材を受けた。
「おめでとう」という新春の言葉が、
2012年にはどうにもそぐわないのではないか……。
そんな躊躇や迷いの声が多々読者から寄せられているという。
わたし自身も迷っている。
年賀状にかかる経費を被災地に使えないか、とか、いろいろと。
すでに「喪中につき……」」というハガキもうけとっている。
そのなかに、大震災の1週間前に、東北で暮らす母親を見送った
という友人のハガキもあった。
……震災後の旅立ちであれば……離れて暮らす子ども(といっても60代だが)は会えなかった。
……老母の最後の、せめてもの心配りだったかしれません。
「さようなら原発1000万アクション」に果敢に取り組む友人の、せつない言葉が心に響く。
そうして愛するひとを失った被災地のかたがたや、
郷里を放射能で汚されたひとたちは、どんな新年を迎えるのだろう。
今日手元に届いたJCJ(日本ジャーナリスト会議)発行の
『ジャーナリスト』第644号を読んでいたら、
福島第一原発にきわめて近く、
すべての町民が避難させられた大熊町で農業を営んでおられた歌人
佐藤 祐禎さんというかたの短歌が紹介されていた。
補償金などもういらぬ今までの空気と水と空を還せ
ゴモラでもソドムでもなき大熊に殺戮の光線そそぎて止まず
ああ今日がわが家今生の見納めか先祖の位牌抱きて帰る
廃棄物地元処理だと?ふざけるなどこまで犠牲にすればいいのか
「おめでとう」という新春の言葉が、
2012年にはどうにもそぐわないのではないか……。
そんな躊躇や迷いの声が多々読者から寄せられているという。
わたし自身も迷っている。
年賀状にかかる経費を被災地に使えないか、とか、いろいろと。
すでに「喪中につき……」」というハガキもうけとっている。
そのなかに、大震災の1週間前に、東北で暮らす母親を見送った
という友人のハガキもあった。
……震災後の旅立ちであれば……離れて暮らす子ども(といっても60代だが)は会えなかった。
……老母の最後の、せめてもの心配りだったかしれません。
「さようなら原発1000万アクション」に果敢に取り組む友人の、せつない言葉が心に響く。
そうして愛するひとを失った被災地のかたがたや、
郷里を放射能で汚されたひとたちは、どんな新年を迎えるのだろう。
今日手元に届いたJCJ(日本ジャーナリスト会議)発行の
『ジャーナリスト』第644号を読んでいたら、
福島第一原発にきわめて近く、
すべての町民が避難させられた大熊町で農業を営んでおられた歌人
佐藤 祐禎さんというかたの短歌が紹介されていた。
補償金などもういらぬ今までの空気と水と空を還せ
ゴモラでもソドムでもなき大熊に殺戮の光線そそぎて止まず
ああ今日がわが家今生の見納めか先祖の位牌抱きて帰る
廃棄物地元処理だと?ふざけるなどこまで犠牲にすればいいのか
2011年11月27日日曜日
11月27日
今日日曜日も朝から長野だった。
椋鳩十記念館主催の講演会だった。
先週も伊那に行っているが、今日は下伊那。
伊那づいている、この秋だ。
椋鳩十さんと言えば、わたしも若い頃は特にその作品を熱心に読んだものだ。
『アルプスの猛犬』『金色の足あと』『クマほえる』『片耳の大しか』等々。
自然に生きる、あるいは自然を生きる、動物たちの毅然とした姿勢と、
人間との関係性を描いたものに心打たれたものだ。
10代の頃だったか、きっかけは何だったか覚えていないが、
お名前を「椋鳩十さんだっけ? あれっ! 鳩椋十さんだっけ?」.
夜中になって急に気になりだし、こころ七転八倒状態だったことを、
いまになって思い出す。
わたしは決して明るい女の子ではなかったが、いまでは懐かしい記憶だ。
植物図鑑と動物図鑑が愛読書であった頃のことだ。
生誕100年椋鳩十ベストセレクション(理論社刊)など、むろん無かった。
椋鳩十さんがご健在であるなら、いまの日本をどのように感じ、考えられただろう。
25日のブログでご紹介した石川逸子さんの福島の牛の詩も合わせて考える。
ちょっとだけ疲れがたまってきている。
どこかで、丸一日だけ空白の時間をつくる時期が来ているのかもしれない。
椋鳩十記念館主催の講演会だった。
先週も伊那に行っているが、今日は下伊那。
伊那づいている、この秋だ。
椋鳩十さんと言えば、わたしも若い頃は特にその作品を熱心に読んだものだ。
『アルプスの猛犬』『金色の足あと』『クマほえる』『片耳の大しか』等々。
自然に生きる、あるいは自然を生きる、動物たちの毅然とした姿勢と、
人間との関係性を描いたものに心打たれたものだ。
10代の頃だったか、きっかけは何だったか覚えていないが、
お名前を「椋鳩十さんだっけ? あれっ! 鳩椋十さんだっけ?」.
夜中になって急に気になりだし、こころ七転八倒状態だったことを、
いまになって思い出す。
わたしは決して明るい女の子ではなかったが、いまでは懐かしい記憶だ。
植物図鑑と動物図鑑が愛読書であった頃のことだ。
生誕100年椋鳩十ベストセレクション(理論社刊)など、むろん無かった。
椋鳩十さんがご健在であるなら、いまの日本をどのように感じ、考えられただろう。
25日のブログでご紹介した石川逸子さんの福島の牛の詩も合わせて考える。
ちょっとだけ疲れがたまってきている。
どこかで、丸一日だけ空白の時間をつくる時期が来ているのかもしれない。
2011年11月26日土曜日
11月26日
今朝は、詩人で翻訳家のアーサー・ビナードさんの「朝の教室」。
タイトルは、「(平和利用)なーんちゃって!」。
古今亭志ん生の落語から引き出した原発がある社会への比喩など
欧米人ではじめて中原中也賞を受賞したこの詩人の、
言葉の巧みさと深さに、気持ちよく笑い、解放感の中で、
さらに考えさせられた一時間半だった。
12月の「朝の教室」は17日に、チェルノブイリ原発事故のあと、
現地の要請を受けて、ウクライナに入り、ナタネを使った土壌浄化を行ってきた、
分子生物学者、環境科学の専門家、河田昌東(かわたまさはる)さん。
わたしたち有機にかかわるものにとっては、河田さんは理論的リーダーであり、
すぐれた実践者でもあるが、
新刊『チェルノブイリの菜の花畑から 放射能汚染下の地域復興』(創森社)が多くの支持を得ている。
これからの農業は? 消費者自身は、どのように土と食べ物に向かい合えばいいのか。
お話を期待したい。
タイトルは、「(平和利用)なーんちゃって!」。
古今亭志ん生の落語から引き出した原発がある社会への比喩など
欧米人ではじめて中原中也賞を受賞したこの詩人の、
言葉の巧みさと深さに、気持ちよく笑い、解放感の中で、
さらに考えさせられた一時間半だった。
12月の「朝の教室」は17日に、チェルノブイリ原発事故のあと、
現地の要請を受けて、ウクライナに入り、ナタネを使った土壌浄化を行ってきた、
分子生物学者、環境科学の専門家、河田昌東(かわたまさはる)さん。
わたしたち有機にかかわるものにとっては、河田さんは理論的リーダーであり、
すぐれた実践者でもあるが、
新刊『チェルノブイリの菜の花畑から 放射能汚染下の地域復興』(創森社)が多くの支持を得ている。
これからの農業は? 消費者自身は、どのように土と食べ物に向かい合えばいいのか。
お話を期待したい。
2011年11月25日金曜日
11月25日
以前にもご紹介したことがあっただろうか。
「戦争と平和を考える詩の会」が発行している
『いのちのかご(かごは漢字)』という小冊子があり、
いつもお送りいただいている。
その10月号を今日は、移動の電車の中で読んだ。
どれもが「言葉」を選びぬいて、時代と社会と『対決』している。
表現というのは、もともとこういった視点と
姿勢が基盤にあってのものではないだろうか。
その中に、敬愛する詩人、石川逸子さんの作品ものっていた。
この冊子の裏表紙には、ここに掲載されている詩作品は、
反戦集会などのいろいろな集まりで、朗読その他に、
自由に使っていい、といううれしい告知がのっているので、
時々朗読させていただいている。
そして、石川逸子さんの詩である。
クレヨンハウスが発行する総合育児雑誌『月刊クーヨン』でも
石川さんの作品を紹介させていただいたことがあったが、
10月号には、『牛のささやき』という題名の詩が。
『牛のささやき』
石川逸子
牛舎で
倒れている 牛たち
道ばたで ハタリ 倒れる牛たち
地震では崩れなかった牛舎が
放射能汚染区域となり
突如避難させられた 飼い主たち
倒れていく牛は知らない
ホウシャノウという言葉も
牛舎も 自分の乳も すでに汚染されていることを
…福島原発に頼っていたトウキョウでは
原発推進をなお主張 津波災害を天罰と言った
男が トップ当選していた…
息絶えようとする牛は
無人の家近くをさまよう 犬は 猫は
そんなことは知らない
(神国日本は不敗の次は
(日本の原発は安全)神話の
生け贄になった 動物たち・人間たち
(ハーメルンの男の吹く笛に
いつまで
付いていこうとするのだろうね?)
深夜 牛舎を照らす月光のなか
ものいわぬ牛の遺体が
ひそと ささやき交わすのを聴いた
「戦争と平和を考える詩の会」が発行している
『いのちのかご(かごは漢字)』という小冊子があり、
いつもお送りいただいている。
その10月号を今日は、移動の電車の中で読んだ。
どれもが「言葉」を選びぬいて、時代と社会と『対決』している。
表現というのは、もともとこういった視点と
姿勢が基盤にあってのものではないだろうか。
その中に、敬愛する詩人、石川逸子さんの作品ものっていた。
この冊子の裏表紙には、ここに掲載されている詩作品は、
反戦集会などのいろいろな集まりで、朗読その他に、
自由に使っていい、といううれしい告知がのっているので、
時々朗読させていただいている。
そして、石川逸子さんの詩である。
クレヨンハウスが発行する総合育児雑誌『月刊クーヨン』でも
石川さんの作品を紹介させていただいたことがあったが、
10月号には、『牛のささやき』という題名の詩が。
『牛のささやき』
石川逸子
牛舎で
倒れている 牛たち
道ばたで ハタリ 倒れる牛たち
地震では崩れなかった牛舎が
放射能汚染区域となり
突如避難させられた 飼い主たち
倒れていく牛は知らない
ホウシャノウという言葉も
牛舎も 自分の乳も すでに汚染されていることを
…福島原発に頼っていたトウキョウでは
原発推進をなお主張 津波災害を天罰と言った
男が トップ当選していた…
息絶えようとする牛は
無人の家近くをさまよう 犬は 猫は
そんなことは知らない
(神国日本は不敗の次は
(日本の原発は安全)神話の
生け贄になった 動物たち・人間たち
(ハーメルンの男の吹く笛に
いつまで
付いていこうとするのだろうね?)
深夜 牛舎を照らす月光のなか
ものいわぬ牛の遺体が
ひそと ささやき交わすのを聴いた
2011年11月24日木曜日
11月24日
東京新聞朝刊の、
「ストロンチウム 都内3か所で検出」
という見出しが飛び込んできた。
霞が関の経産省庁舎前など都内三か所の路上に堆積していた泥から、
微量ではあるけれど、放射性ストロンチウムが検出された
という一面トップ記事である。
十月半ばには、横浜港北区にあるマンション屋上の
泥からも検出されたというニュースがあったが、今回の調査をしたのも、
先の横浜港北区の自宅マンション屋上でストロンチウムを検出した
男性の教師らの住民のグループだという。
この報道にコメントを寄せている古川路明・名古屋大学名誉教授や
松井英介・岐阜環境医学研究所所長は次のように指摘されている。
「(前略)量としては多くはないが、国は住民に安心してもらうためにも、
セシウムの調査だけでなく、ストロンチウムもどこまで広がっているのか、
土壌検査すべきだ」(古川路明氏)
「(前略。ストロンチウム90は)内部被ばくではセシウムよりも危険度が
高いベータ線を出し、微量でもやっかいだ。国はストロンチウムの食品の基準も
具体的な数値で示して、検査も実施すべきだ」(松井英介氏)
国のいう「風評被害」を防ぐためにも、前掲の男性も指摘するように
「国は食品のストロンチウムの規制値も示し、食品検査に結びつけてほしい」
とわたしも考える。
「ストロンチウム 都内3か所で検出」
という見出しが飛び込んできた。
霞が関の経産省庁舎前など都内三か所の路上に堆積していた泥から、
微量ではあるけれど、放射性ストロンチウムが検出された
という一面トップ記事である。
十月半ばには、横浜港北区にあるマンション屋上の
泥からも検出されたというニュースがあったが、今回の調査をしたのも、
先の横浜港北区の自宅マンション屋上でストロンチウムを検出した
男性の教師らの住民のグループだという。
この報道にコメントを寄せている古川路明・名古屋大学名誉教授や
松井英介・岐阜環境医学研究所所長は次のように指摘されている。
「(前略)量としては多くはないが、国は住民に安心してもらうためにも、
セシウムの調査だけでなく、ストロンチウムもどこまで広がっているのか、
土壌検査すべきだ」(古川路明氏)
「(前略。ストロンチウム90は)内部被ばくではセシウムよりも危険度が
高いベータ線を出し、微量でもやっかいだ。国はストロンチウムの食品の基準も
具体的な数値で示して、検査も実施すべきだ」(松井英介氏)
国のいう「風評被害」を防ぐためにも、前掲の男性も指摘するように
「国は食品のストロンチウムの規制値も示し、食品検査に結びつけてほしい」
とわたしも考える。
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