2013年8月27日火曜日

8月27日

猛暑も少し和らいで、風の感触が心地よい東京。
昨日は、「子ども・被災者支援法」の早期実施を求めた記者会見が議員会館であった。
参加したかったのだが、記者会見の時間が当初の13時スタートから15時に変更になったために、
仕事の関係でわたしは欠席。詳しくはまた改めて、ご報告を。

それにしても、この大量の汚染水の流出……。
「収束」宣言をしたのは前政権だが、原発を推進してきた政党として、
そして再稼働を公言する政権として、さらに海外に原発を売る政権として、
この事態を現政権はどうとらえているのだろう。
輸出に際して、福島の事故を体験し「高度の技術をもって」と言っているようだが、
そうであるなら、その「高度の技術」を大量の汚染水流出を止めることに使ってほしい。

昨日は午前中から「婚外子差別」についてクレヨンハウスで取材を受けていたが、
ランチをとっておられた、福島から見えた二家族のかたから声をかけられた。
ゆっくりはお話ができなかったが、それでも必死であることが、その表情から口調からも伝わってくる。
それを聞いておられた小さな男の子と一緒の東京の女性が、
「わたしたちも脱原発に向けて、絶望してませんからね。
一緒に運動させてください」。
と、力強い言葉を。
このところ、ちょっとばかり落ち込み気味だったわたしが
むしろ喝を入れていただいた感じだ。

今週日曜日、9月1日の朝の教室。講師は作家の早乙女勝元さん。
12歳で東京大空襲を体験。戦争の悲惨さをあらゆる機会を通して、
記録し、書き、そして語ってこられた敬愛する先輩だ。
主な著作は、『東京大空襲……昭和二0年三月十日の記録』、
『わが街角』、『猫は生きている』、「戦争と青春』等々。
特に『パパママバイバイ』は、1977年に横浜で発生した
米軍機墜落事件を題材にした絵本で、アニメーションも制作されている。
1977年9月27日、その日、厚木基地を飛び立ち、
千葉館山に待機する空母ミッドウェーを目指したが、エンジンから出火。
2人の乗員はパラシュートで脱出するものの、燃える機体は墜落。
数軒の家を焼きつくした。
特にエンジンが直撃した土志田和枝さんと夫の妹さんは、3歳の裕一郎さんと1歳の康弘さんを抱えて、 燃える家から飛び出したが……。裕一郎さんと康弘さんはその日の深夜と、明け方に 母親が運ばれた病院とは別の病院で亡くなった。
そして和枝さんも、事件から4年後、31歳で亡くなった。
この事件を、子どもの視点から描いたのが、早乙女さんの『パパママ バイバイ』だ。
あれから36年。沖縄の基地問題は一向に改善されることもなく、
そして福島もまた……。
穏やかなお人柄、語り口の中に、戦争はもとより、「国家の犯罪」に対して終生、
憤りの焔を燃やし続ける早乙女さん。昨年、傘寿を迎えられたはずだが、
この夏も反戦・平和をテーマに各地で精力的に講演と取り組んでおられる。