猛暑も少し和らいで、風の感触が心地よい東京。
昨日は、「子ども・被災者支援法」の早期実施を求めた記者会見が議員会館であった。
参加したかったのだが、記者会見の時間が当初の13時スタートから15時に変更になったために、
仕事の関係でわたしは欠席。詳しくはまた改めて、ご報告を。
それにしても、この大量の汚染水の流出……。
「収束」宣言をしたのは前政権だが、原発を推進してきた政党として、
そして再稼働を公言する政権として、さらに海外に原発を売る政権として、
この事態を現政権はどうとらえているのだろう。
輸出に際して、福島の事故を体験し「高度の技術をもって」と言っているようだが、
そうであるなら、その「高度の技術」を大量の汚染水流出を止めることに使ってほしい。
昨日は午前中から「婚外子差別」についてクレヨンハウスで取材を受けていたが、
ランチをとっておられた、福島から見えた二家族のかたから声をかけられた。
ゆっくりはお話ができなかったが、それでも必死であることが、その表情から口調からも伝わってくる。
それを聞いておられた小さな男の子と一緒の東京の女性が、
「わたしたちも脱原発に向けて、絶望してませんからね。
一緒に運動させてください」。
と、力強い言葉を。
このところ、ちょっとばかり落ち込み気味だったわたしが
むしろ喝を入れていただいた感じだ。
今週日曜日、9月1日の朝の教室。講師は作家の早乙女勝元さん。
12歳で東京大空襲を体験。戦争の悲惨さをあらゆる機会を通して、
記録し、書き、そして語ってこられた敬愛する先輩だ。
主な著作は、『東京大空襲……昭和二0年三月十日の記録』、
『わが街角』、『猫は生きている』、「戦争と青春』等々。
特に『パパママバイバイ』は、1977年に横浜で発生した
米軍機墜落事件を題材にした絵本で、アニメーションも制作されている。
1977年9月27日、その日、厚木基地を飛び立ち、
千葉館山に待機する空母ミッドウェーを目指したが、エンジンから出火。
2人の乗員はパラシュートで脱出するものの、燃える機体は墜落。
数軒の家を焼きつくした。
特にエンジンが直撃した土志田和枝さんと夫の妹さんは、3歳の裕一郎さんと1歳の康弘さんを抱えて、
燃える家から飛び出したが……。裕一郎さんと康弘さんはその日の深夜と、明け方に
母親が運ばれた病院とは別の病院で亡くなった。
そして和枝さんも、事件から4年後、31歳で亡くなった。
この事件を、子どもの視点から描いたのが、早乙女さんの『パパママ バイバイ』だ。
あれから36年。沖縄の基地問題は一向に改善されることもなく、
そして福島もまた……。
穏やかなお人柄、語り口の中に、戦争はもとより、「国家の犯罪」に対して終生、
憤りの焔を燃やし続ける早乙女さん。昨年、傘寿を迎えられたはずだが、
この夏も反戦・平和をテーマに各地で精力的に講演と取り組んでおられる。