頬にそばかすがある、長くつ下をはいたあの少女。
ごたごた荘で、サルのニルソン氏と暮す、ピッピ。
馬を持ち上げてしまうほどの力持ちの女の子。
権威的なものが嫌い、というのも、素敵じゃないか。
その『長くつ下のピッピ』(岩波書店/刊)の生みの親、
アストリッド・リンドグレーン1907~2002)は言っている。
It makes no difference to me whether I meet a queen or a cleaning lady.I can't judge what they are.I see them as the children they once were.
女王に会っても清掃係に会っても、わたしにとっても何のかわりもありません。
いま、なにをやってるかで、ひとを判断はしません。
むしろ、どんな子どもだったかが、わたしがひとに接するときの規準です。
ひとは成長し得るもの、幾つになっても変わり得るものだとわたしは
信じてはいるが………。
ひとの痛みを感じていないような、エライひとたちの言葉を耳にするたび、
このひとはどんな子どもだったのだろうと、ふと思う。
夏の朝、朝顔の花を数えたことがあったのだろうか。
夏の午後。縁側に仲間と並んで、スイカを頬張ったことがあるのだろうか。
夏の夜。自分より小さい子が火傷をしないように注意しながら
線香花火をやったことがあるのだろうか。
エライひとたち。
あなたは、どんな子どもだったのだろう。
そして、あなたは福島の子どもをどう思うのだろう。
旅空の下、せつなく、やるせなく、腹立たしい夏を行く。