8月6日。
広島に原爆が投下された日である。
原爆と原発。おおもとは同じなのだ、
と2011年3月11日以降、改めて実感させられている。
友人から、井上ひさしさん作、
こまつ座の『父と暮せば』の公演に誘ってもらった。
行きたいのだが、是非是非行きたいのだが
無念なことに、仕事の都合で行けない。
わが家には、なぜか英文対訳の『父と暮せば』もある。
前口上で、井上ひさしさんは次のように記しておられる。
ヒロシマ,ナガサキの話をすると、
「いつまでも被害者意識にとらわれてはいてはいけない」といわれる。
当時、「日本人はアジアにたいしては加害者だったのだから」とも。
確かにそうなのだが、と井上さんはおっしゃる。
しかし、1945年にヒロシマ・ナガサキに落とされた二つの原子爆弾は、
「日本人の上に落とされたばかりではなく、
人間の存在全体に落とされたものだと考える」。
ヒロシマ・ナガサキの被曝者は、
「二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ」。
それゆえに被害者意識からではなく、
「世界六十二億の人間の一人としてあの地獄を知っていながら、
『知らないふり』をすること」は、決してできない、と。
それは「なににもまして罪深いことだと考える」から、書くのだ、と。
(こまつ座・発行)
きょうから、2泊3日の「クレヨンハウス夏の学校」がはじまる。
井上さんも、この学校の講師のおひとりとして来ていただいたことがあった。
子どもが言葉を獲得していく過程と物語の誕生について、
素晴らしい講義をしてくださったことをまるで、
昨日のように覚えている。
つい数日前も、新聞に「いま、ここに井上ひさしさんがおられたら………」
というコラムを書いたばかりだ。