2013年4月17日水曜日

4月17日

淡路島を震源とする地震があった朝。
大阪に向かっていた。余震もあるかもしれない、
交通に乱れが生じる可能性もある、と
予定より早い時刻に東京を発った。
その頃、画家の坪谷令子さんは、18年前の
阪神淡路大地震と比較しながら、次のように思っておられたという。
坪谷さんのメールより。
……今日は大丈夫だったけれど、これが、もっと強い地震で、もし
大飯原発に事故があれば…それは、もはや事故ではありません。
原発を止められなかった私たちは“事件の加害者”になってしまうのです。
私は、“未来の人たち”に対する加害者になりたくないです。
さらに、思います――
経産省前のテントを「不法占拠」などと、よく言ってくれますよね。
政権が、この国の今と将来を含めた時空をナイガシロにするなら、
それこそがトンデモナイ「不法占拠」ではありませんか!
正当な怒りはエネルギーになりますね。

そうです。
正当な憤りを持続し続けて、歩んでいきましょう。
正確な記憶ではありませんが、マハトマ・ガンジーの言葉にならうなら、
善きことは、かたつむりのごとく動く……。
ある時はかたつむりの速度で、そしてある時は疾走するピューマのごとく。
内なる憤りの暴れ馬を諦めで眠らせることなく!

20日、土曜日の「朝の教室」
講師は非電化工房の藤村靖之さん。
工学博士で、NPO法人那須希望の砦の理事長。
1984年息子さんがアレルギーぜんそくになったのを機に、空気清浄器を発明。
電化製品の非効率性を説き、電力を使用しない家庭用機器を発明・設計。
東日本大震災後は、行政に頼ることなく暮らす市民の力で放射線被害から身を守るため、
地域住民とともに安全で安心な暮らしができることを目的として、
2011年5月から講習会や放射線計測、
除染研究などを実施する市民団体「那須を希望の砦にしようプロジェクト」に参画。
2012年に「那須希望の砦」としてNPO法人化し、理事長に就任したかただ。
足尾銅山事件の田中正造さんが亡くなって、今年で100年。
同じ栃木からの「声」に耳を傾けたい。