2013年4月5日金曜日

4月5日

今日は朝から、月に1度のクレヨンハウスのミーティング。
朝9時スタート。
今朝は8時30分に出社。
まずはアウトテリアのプランターやハンギングバスケットに咲き乱れる花を摘む。
そうしてわが家から持参した古いケトルに挿して、アキニレの木陰に飾る。

ケトルはその昔、ホウロウ製の真紅で、
ずいぶん長い間、コーヒーを淹れるときの大事なおともだった。
古くなっても味のある、丸い形がキュートなケトルだった。
が、限界を迎えたが、いろいろな思いがあって処分できないでいた。
そして、夜明け前、原稿を書いていて、
そうだ、クレヨンハウスのアウトテリアで花瓶替りに使おう、と思いついた。
ところどころに焦げがついたまま、ひびも入ったケトルだが、
真紅の地色は残っている。
そこで、白いノースポール、紫の濃淡のビオラやパンジー、薄紫の花をつけたローズマリーなどをごっそり挿して、アキニレの下に飾った。

花や緑の香りに包まれての、もっとも楽しい作業が終わる頃、スタッフの多くが出社。
14時まで、会議や打ち合わせが続き、
おなか空いたねえと言いながら、ミズ・クレヨンハウスの取材に立ち合う。
反原発・脱原発の書籍を集めている理由などについても説明。

ミズ・クレヨンハウスに限らず、クレヨンハウスの主なるコンセプトは、OTHER VOICES.
周辺の声、主流ではない価値観、別の声、ともいえる。
男性優位社会における「女・子どもの声」、
生産性の効率のみを重視する社会における「高齢者の声」、
すでに障がいと呼ばれるものがある人の声、
などに光を当てる作業をささやかながらお手伝いするのが、この空間である。
原発事故の被災者の声もまた、OTHER VOICESである。

終了後、蕎麦屋さんへ。
せいろをお替りしてスタッフに呆れられる。小食なのだ、みんな。
みんなに言わせると、わたしが大食、ということになるのだが。
蕎麦屋さんから帰って、原稿を一本。
それから8月3・4・5日に行う「夏の学校」の打ち合わせに参加。
1年に1回の、クレヨンハウス最大のイベントなので、みんな真剣な表情。
真剣な表情で議論する若いひとたちの表情を見ているのは、
樹や花を見るのと同じくらい好きだ。

最近、読んだ反原発の視点からの本で、とても印象深かったものの一冊に
「朝の教室」の講師も引き受けてくださった木野龍逸さんの
『検証 福島原発事故 記者会見2』(岩波書店)がある。
1・「収束」宣言 2・漏れ続ける汚染水、3・被曝隠し、4・情報非公開
……から9・いま何をすべきか、まで。
……記者会見を、そして、現地での取材を重ねた著者が、
欺瞞に満ちた「収束」の虚妄を、明らかにする……(表紙袖の一文より)

特にあとがきの以下の文章は心に響く。元気づけられる。
……社会を劇的に変える方法はない。私たちが着実に歩を進めることでしか、
社会の変化は定着しない。時に無力に思えるかもしれないが、意見を発信し続け、
動き続けることを止めてはならない。日々のニュース報道や、当事者らの話に
耳を傾むけ、自ら感じ取った思いを胸に、彼ら・彼女らの傍らに立ち、関心を持ち続けることが、求められている(後略)……。
時に無力感・非力感に打ちのめされそうになるとき、
1966年生まれの、若いこの著者の言葉をわたしは素手で握りしめる。