頭上すれすれに「寡婦製造機」と呼ばれるオスプレイが飛ぶ。
偵察機が普天間基地から飛び立ち、輸送機が基地に戻る。
それが宜野湾市の日常だ。
基地のゲート前では、朝早くから夕方まで、
60代から70代の地元の人々が、
「NOオスプレイ」と書いた紙を手に抗議行動を続けている。
その前を通過する車の中から、
少なからぬ人々が手を振って通り過ぎしていく。
頭を下げて、会釈するひとも。
「屈辱の日」のノボリも至るところに。
思い出したのが、ジークムント・バウマンのあの言葉だ。
……社会はあらゆる危険と矛盾を生産し続ける一方で、
それらへの対処を個人に押し付ける……。
沖縄の歴史はまさにそうであったはずだ。
サンフランシスコ講和条約が発効した1952・4・28は、
沖縄が日本から分離され、置き去りにされた日である、
という沖縄の人々の言葉に、東京で暮らす私も深く共感する。
その「屈辱の日」に、「なぜ、いま、主権回復の日」として記念式典をひらくのか。
沖縄の人々の人権、主権は回復してはいない。
米軍や米兵は、日米地協定で特権を保障されたまま。
いまもって日本にある米軍基地の74パーセントは沖縄にあり、
酸鼻な事件は跡を絶たない。
「銃剣とブルドーザー」と言われた、強制接収による基地建設。
銃剣はそのまま、そこにオスプレイまで加わった。
2004年海兵隊の大型ヘリコプターが、
国際大学構内に墜落炎上した事故があった。
「事故」とメディアの多くは報道したが、
その後の米国の対処からいえば「事件」であったはずだ。
米軍が現場周辺の民間地を封鎖をしてしまい、
沖縄県警の現場検証さえ、拒否したのだから。
米兵によるひき逃げ事件や暴力事件、性暴力事件も後を絶たない。
現政権は国防軍とか集団的自衛権とか96条改変とか、
平和憲法改変には熱心でありながら、
さらに極めてナショナリステイックな発言を重ねながらも、
他方で、沖縄の主権を一貫して侵害し続けてきた。
この差別構造はそのまま、
危険極まりない原発を過疎地と呼ばれるところに押し付け、
そして福島第一原発の過酷事故を迎え、
それでも原発を推進していく流れと似ている。
せんだっての核兵器の人道的影響に関する共同声明にも署名せず、
特に広島・長崎の人々を失望、怒らせたこの国の政権である。
「違憲国会」が、違憲のまま歴史にも個々の痛みに対しても想像力欠如させたまま、
「主権回復の日」を祝った、ということでしかないだろう。
今日は東京での仕事。
明日は3・11以降、自宅兼アトリエのあった福島から関西に居を移した彫刻家・安藤栄作さんの
はじめての絵本『あくしゅ だ』刊行を記念して、丸木美術館で、安藤さんとトークをする。
津波で愛犬と共に、すべての作品を流された安藤さん。
脱原発を心に活動を続ける安藤さんと久しぶりにお目にかかって、お話ができる。
この前に安藤さんとお目にかかったのは、昨年の3月。霙降る銀座の画廊だった。
クレヨンハウスの朝の教室にいつも参加してくださる女性から、
安藤さんのブログを紹介され、その言葉の深さと切実さに惹かれて、出かけていった個展。
そこではじめて安藤さんにお目にかかり、作品を拝見している間に、
絵本を描かれたら、と思い……。
そんな日々の中で『あくしゅ だ』は生まれたのだ。
埼玉県東松山市原爆の図丸木美術館から:
安藤栄作さん&落合恵子さん対談イベント
4月29日14:00から。
13:00に東武東上線森林公園駅南口から
美術館への送迎車が出る。
参加費500円。入館料800円も別途必要。