2013年4月1日月曜日

4月1日

先週末、福島に行ってきた。今年に入って4度目の福島。
大勢の方々が集まって、拙い話を聞いてくださった。
ほかのところであるなら、もっとスムーズに話ができるのに、
福島で暮らしておられるこの方々に、
一体わたしは何を伝えることができるのだろう。
何度となく言葉に詰まり、何度なくこみあげるものがあった。
がんばってなどとは言えない。
充分すぎるほど、あの日から、そうしておられるのだから。
ご一緒に、とも言えない。
背負うものがこんなにも違うのだから。
共にという言葉も、不遜であり、おこがましい。
それでも、共に居させてください、と心からお願いする。

詩人・堀場清子さんが記されているように、
「一億総ざんげ」の一員に加わることは、わたしは拒否する。
それで終わりにしたくはないし、それで終わらない問題を福島に暮らす人々は山ほど抱えておられるのだから。

3月12日に亡くなった佐藤祐禎さんのお話もさせていただいた。
今回持参した資料のひとつに、「はんげんぱつ新聞」1月号に、
「朝の教室」でも講師をしていただいた石丸小四郎さんのエッセイがあった。
旧聞に属するが、石丸さんはブラジルで発行されている日系ブラジル人向けの新聞に
掲載されたという「求人広告」について記しておられる。
「廃棄物の除去・20キロ圏内/日当3万円」、
同じく「廃棄物の除去・安全な場所/日当1万円~1万2千円・日曜休み・住宅と3食付」
という雇用条件が記されていたという。
石丸さんに情報を提供をしてくれたひとは、次のようにおっしゃっていたという。
「20キロ圏内というのは原発そのもののことではないか。将来の補償はどうなんですかね」と。

被曝労働を多重な下請けの構造の中で、作業員に押し付けてきた電力会社は、
さらなる犠牲を生み出すのか、と石丸さんは憤りを記される。
被曝労働については、樋口健二さんのご著書にも詳しいが、
支配・被支配の構造、差別構造をそのままに、
アベノミクスは空疎この上ない未来像を今日を描き、強大な支持率を誇っている。