2013年3月10日日曜日

3月10日

昨9日は、久しぶりの「さようなら原発1000万人アクション」
の集会&デモが東京明治公園で。
各地でも、昨日から11日に向けて、さまざまな集会やデモが。
大江健三郎さんは、お嬢さんからプレゼントされたとおっしゃる
素敵なスニーカーをはいて、集会のあと、デモ完走というか、完歩されました。
昨日のデモで、デモデビューをされたかたもいらっしゃいました。
わたしは以下のよなメッセージを。

……東日本大震災という自然災害から、そして福島第一原発の過酷事故から、1年と363日です。
わたしたちは、あの日から誰をも犠牲にしない、今までとは違う暮らし方、拓かれた社会を求め続けてきました。
けれど、長年にわたり原発推進を押し進めてきた政党が今や最大政党です。
そして再稼働と原発輸出が公然と語られるようになりました。
オスプレイが日本中を飛行するようになりました。
参院選のあとには、憲法改悪も控えています。
それでもわたしたちは、力強くけれど淡々と、果敢にけれど確かに、一歩一歩、
毎日を反原発デイにしていきましょう。
毎日が反原発デイということは、原発単体に反対するのは無論のこと、
この社会にある、ありとあらゆる犠牲や差別の構造を切り開いていくことです。

私は強く求めます。廃炉を。
そして一部の利益のために、多くが苦しむ社会そのものを変えることを。
そのために、私たちは決して決して、後ずさりしないことを。
誰かを置き去りにしないことを。私は強く求めます。

私は忘れません。
ひと月ほど前の、南相馬の土曜日、真昼時。
目ぬき通りに人影はなく、雪の中で信号だけが点滅していた風景を。
私は忘れません。
仮設住宅から通い続け、相馬の野馬追いの馬たちが食べる藁を切っていたあのひとを。
「元の暮らしに戻せ、それだけを言いたい」と言ったあのひとを。馬の深い目を。
私は要求します。何度でも繰り返し。
今この時も、被曝しながら原発の中で黙々と作業をし続けるひとの保障を。
私は約束します。
福島を忘れないことを。
毎日を反原発、原発的構造に反対しつづけ、できることにはすべて取り組むことを。
私は強く求めます。他でもない自分自身に。
郡山の駅で、わたしの手を握り、
「忘れないでください、わたしたちがここで暮らしていることを」
とおっしゃったあなたを忘れない、と。
私は注意深く見極めます。
まやかしやその場逃れの言葉たちと、市民のまっとうな声を。
 福島とつながります。福島は私たち自身でもあるのです。
沖縄が私たち自身であるように。

ニヒリズムは押入れの奥に放り込んで、共感をもって今日もご一緒に歩き続けましょう。
私たちが目指すゴールは少し遠のいたかもしれません。
長い長い旅になるかもしれません。
移ろいやすさを否定して、私たちは生きている限り、
原発反対を心の真ん中に据えましょう。
今日この日を改めて、鎮魂とあらがいのための日として、再びの一歩を踏み出しましょう……。

以上