2013年3月22日金曜日

3月22日

イラク戦争から10年。メディアは特集を組んでいる。
あの頃、わたしは母の介護をしていた。
朝一番のバイタル(血圧や脈)は通常通り。ほっとしたのも束の間、
1時間後に血圧が突然上がったり下がったり、
頻脈が起きたり……。
「ジェットコースター」の日々だった。
当時、上院議員だった現大統領バラク・オバマは戦争に反対だった記憶があるが、
いま彼がしていることを見ると(TPPにしろ何にしろ)首を傾げざるを得ない。
大国・米国の威信のためなら、なんでもやる、ということか。

ノーベル平和賞は何のためのものだったのだろう。
それでも、共和党か民主党か、どちらかと言われれば、民主党を選ぶしかないのだが。
イラク戦争に反対する集会。母の体調がいつどのように変化するかわからず、
スピーチは「予定」とチラシに印刷していただいた。
当時、新聞に連載していた『母に歌う子守唄』(朝日新聞 刊)でも、
自らの中のジレンマを書いた記憶がある。
母を介護し、ひとつのいのちをなんとかサポートしようとすることと、
海の向こうの大勢の人々のいのちに対してなんとかしようとすること(たとえできることは微小であっても)の間で、
わたしは常時、二つに引き裂かれている、と。
辛い日々だった。
ジークムント・バウマンの『リキッド・モダニテイ……液状化する社会』(大月書店)を読んだのは、
ちょうどその頃だったろうか。
本書に関しては、『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書)で詳しく触れているが、
バウマンは次のように言っている。
……社会は危険と矛盾を生産しつづける一方、それらへの
対処は個人に押しつける……(森田典生・訳)

思い出していただきたい。
当時の政権が使った「自己責任」という、あの言葉を。
イラク人質事件に関して、どれほどこの言葉を流布し、
多くも、この言葉を受け入れた。
この「自己責任論」に容易にのってしまう社会は危険だ、と
もろもろのコラムで書いた記憶もある。
しかし、「自己責任」という大きな声に、異議などは消されていった。
その後も、「自己責任論」の危険性に関しては、
いろいろなところで書いている。
なぜなら「自己責任」という概念と言葉がさらに拡大解釈されれば、
そして深まれば、バウマンが指摘したように、
社会(国とも代言できる)はこの上ない危険と矛盾を生産しつづけながら、
すべての対処(責任)を個人に押しつけるからだ。
この構図は、原発事故と相似形ではないか。
福祉の切り捨てもまた、この「自己責任論」の上に成立するものだ。
今日は収録と打ち合わせが一日中。