「もう」なのか、「まだ」なのかは、それぞれ違うだろうが、
東日本大震災、そして福島第一原発事故から2年を迎えようとしている。
なにも、本当になにも収束していないのだ。
「わたしたちが、ここで暮らしていることをどうか忘れないでください」
そんなメールやファックスがここ数日より増えている。
忘れはしない。どうして忘れることができるだろうか。
それは、すべてのそれぞれの「わたし」が、あの日から引き受けた、
生きていくうえでの根源のテーマなのだから。
「ここ」から目を逸らしてしまったら、わたしたちはいないことになる。
考えてみよう、何度でも。
わたしたちが暮らしていくうえで、真実、必要なものとは何なのかを。
注意深く見つめてみよう。
原発を、電力の問題に決して矮小化させてはならないという視点で。
ニヒリズムも、「どうせ」も、ため息も、押入れの奥に蹴りいれよう。
いま、わたしたちに必要なのは、
持続であり、確かな意志の力であり、新しい哲学であり、
あまり好きな言葉ではないが、拓かれた倫理であるのだから。
経済と原発を併記して、「どちらを選ぶか?」と
二者択一を迫るようなメディアを信じる必要はない。
10日(日)の、原発とエネルギーを考える「朝の教室」。
講師は都知事選でも頑張ってくださった弁護士の宇都宮健児さん。
先週、ある会合でお目にかかった。
知事選という熾烈にして、
いやおうなくテンションが高くなる「体験」を
つい最近されたばかりだというのに、
いつもの穏やかで静かな宇都宮さんだった。
「暮らしびと」であることを、脇にやらない姿勢がすばらしい。
「朝の教室」の会場がもっと広いといいのだけれど、
ただいまキャンセル待ちの状態。お許しを。
その「朝の教室」のあとは、
「さようなら原発1000万人アクション」の集会とデモが続く。
週末は幸い天気もいいようだ。
10日(日)は、首都圏反原発連合が主催する国会請願デモも。
日比谷公園に集まり、それから国会に。
11日夜は、品川区立総合区民会館「きゅりあん」での集会。
きゅりあんってラテン語で「集会所」の意味だとか。
集い、考え、考えたことを広め、深め、
さらにもう一度自分に引き寄せてよう。
宇都宮さんともお目にかかれた先週の会合。
故高木仁三郎さんのパートナーもお見えになっていた。
大勢の中での立ち話だったが、互いに涙ぐんでしまった。
「朝の教室」の前身で、最初の講師をつとめてくださったのは、
高木仁三郎さんだった。