2013年3月4日月曜日

3月4日

「もう」なのか、「まだ」なのかは、それぞれ違うだろうが、
東日本大震災、そして福島第一原発事故から2年を迎えようとしている。
なにも、本当になにも収束していないのだ。
「わたしたちが、ここで暮らしていることをどうか忘れないでください」
そんなメールやファックスがここ数日より増えている。
忘れはしない。どうして忘れることができるだろうか。
それは、すべてのそれぞれの「わたし」が、あの日から引き受けた、
生きていくうえでの根源のテーマなのだから。
「ここ」から目を逸らしてしまったら、わたしたちはいないことになる。
考えてみよう、何度でも。
わたしたちが暮らしていくうえで、真実、必要なものとは何なのかを。
注意深く見つめてみよう。
原発を、電力の問題に決して矮小化させてはならないという視点で。
ニヒリズムも、「どうせ」も、ため息も、押入れの奥に蹴りいれよう。
いま、わたしたちに必要なのは、
持続であり、確かな意志の力であり、新しい哲学であり、
あまり好きな言葉ではないが、拓かれた倫理であるのだから。
経済と原発を併記して、「どちらを選ぶか?」と
二者択一を迫るようなメディアを信じる必要はない。

10日(日)の、原発とエネルギーを考える「朝の教室」
講師は都知事選でも頑張ってくださった弁護士の宇都宮健児さん。
先週、ある会合でお目にかかった。
知事選という熾烈にして、
いやおうなくテンションが高くなる「体験」を
つい最近されたばかりだというのに、
いつもの穏やかで静かな宇都宮さんだった。
「暮らしびと」であることを、脇にやらない姿勢がすばらしい。
「朝の教室」の会場がもっと広いといいのだけれど、
ただいまキャンセル待ちの状態。お許しを。
その「朝の教室」のあとは、
「さようなら原発1000万人アクション」の集会とデモが続く。
週末は幸い天気もいいようだ。
10日(日)は、首都圏反原発連合が主催する国会請願デモも。
日比谷公園に集まり、それから国会に。
11日夜は、品川区立総合区民会館「きゅりあん」での集会。
きゅりあんってラテン語で「集会所」の意味だとか。
集い、考え、考えたことを広め、深め、
さらにもう一度自分に引き寄せてよう。

宇都宮さんともお目にかかれた先週の会合。
故高木仁三郎さんのパートナーもお見えになっていた。
大勢の中での立ち話だったが、互いに涙ぐんでしまった。
「朝の教室」の前身で、最初の講師をつとめてくださったのは、
高木仁三郎さんだった。