新幹線が京都を過ぎたあたりから,ちょっと息苦しくなった。
去年の三月十一日の今日と同じ頃、
京都,新大阪,そして新神戸で降りたのだ。
そうして,介護について話をしている最中に
軽い眩暈のようなものを感じたのだ。あの時間に。
あの日から始まった日々は,今までのどんな日々とも違っていた。
何ひとつ、完全に復興したものはなく,
なにひとつ収束したものはなく。
そうして一年になろうとしている。
確実に,大きな地震はくるだろう。
二基しか現在は稼動していないとはいえ、
私たちはこの地震大国に五十四基の原発を持ってしまっているのだ。
即刻,廃炉にするしかない。
そうしたところで、何十世代にもわたって、
核のゴミのお守りをしなければならないのだが。
とにかく、再稼働をさせてはならない。
そこからはじめるしかないのだ、とあらためて。
帰京できずに、不安のうちにまんじりともせず夜明を待った,
あの夜を思う。
ふたたび繰り返してはならないと。