今朝の東京新聞。
「格納容器内7万2900ミリシーベルト」という大きな見出しの横に、
「6分で人死ぬ量」とある。
この3日間、このブログに書いている福島第一原発2号機のことである。
メルトダウン、炉心溶融した核燃料が原子炉を破壊し、
格納容器にまで溶け落ちている。
最大で毎時7万2900ミリシーベルトの放射線量が計測され、
この値は見出しにもあるように、そこに6分ほどいただけで
人間は100パーセント死亡するという。
ロボットでも長時間の作業は難しいそうだ。
政府は2011年12月に、この苛酷事故は「収束した」と宣言したのだが、
これが原発事故の、リアルタイムの実態であるのだ。
野田首相は、韓国ソウルで開かれた核安全サミットで、
「原子力施設の脆弱性を克服する」と宣言したそうだが、
どうやって克服するのだ。
このサミットでは、原発へのテロについても議論されたが、
原発の存在そのものが、
そこで暮らすものたちへの、「テロ」そのものになっている、
とわたしは考える。
自らの内に、「テロ」を抱えているのだ。
メディアといえば、毎日放送の「たねまきジャーナル」は
クレヨンハウスが4月22日に講演をお願いしている
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんが出演している番組でも広く知られている。
今回、クレヨンハウスから『小出裕章さんのおはなし』を刊行するにあたっての
メールでのやりとりを通して、
当然ながら、小出さんとはプライバシーに関しては厳密なるルールのあるかたで、
容易に他者を入れないかただと認識した。
実をいうと、わたしにもこのルールはあるので、気持ちはよくわかる。
それでも、前掲の本の中では、
少年時代や女川原発の反対運動に身を投じた学生時代、
そして原発推進派の教授と論争した時代について触れておられるが。
去年の秋頃の「たねまきジャーナル」だったか、
小出さんは推進派の教授と論争したことについて次のように応えておられた。
福島第一原発のシビアアクシデントに関して、
利害が直接的にかかわるアカデミズムは、「あ、そういうことね」であるのだが、
それ以外のいわゆる主流のアカデミズムもどうして反応が鈍いのか……。
わたしは不思議だった。
その疑問に対して、番組の中で、小出さんは次のようにもおっしゃっている。
……研究者というのは、私がいたころ(学生時代)もそうだし、たぶん今もそうだと
思いますが、
学問というものがものすごく細分化されてしまっていて、
自分のやっているところは何とか守るということをやるのですけれども、全体が見えないのですね。
ですから、自分の領域からちょっと離れてしまうと、もう、全くわけがわからない。
そういう領域で原子力発電の全体像を、もう、殆どの教員が見ることが出来ないという、そういう状態でした……。
この状態は、苛酷事故から1年以上もたった現在でも続いているのではないかと、わたしは推測する。