このブログでも何度か触れたが、14日、
脱原発を掲げる全国の66の自治体の長(茨城県東海村の村上達也村長)などが
先月設立した「脱原発をめざす首長会議」が、経産省に要望。
この夏に改訂される国のエネルギー基本計画で、原発と決定すること、再稼働を拙速に
行わず立地自治体や周辺自治体への充分なる説明と合意を図ることなどを経産省が
要望した。
これに対して、柳澤副大臣は次のように応えた。
「原発を減らし、新エネルギーを増やす方向性は一致している。運転再会については、
石油価格や夏場の需要なども考えながら判断をしていきたい」。
すでに関西電力大飯原発のある町会議は再稼働に合意をしているが。
これに対して村上村長がコメントしたように、主なる理由は経済的な問題だろう。
反・脱原発を唱えるとき、立地自治体の経済をどうするかについても、
まずは国が明確な政策を示すことが先決だが、
同時にすべてのわたしたちも議論のテーブルにのせなければならない。
そうして、昨日15日は、沖縄復帰記念日だった。
40年前のあの日、わたしは当時勤めていた民放のラジオ局にいた。
通常通りの勤務である。
そして、九段の武道館と那覇市民会館とを中継でむすぶ記念式典を
局内のモニターを通して、聴いていた。
当時の佐藤栄作首相は、国会答弁でも沖縄の基地は
「本土並みになるべき」という未来図を描いてみせたが、現実は今もって
何ひとつ変わらず、この国にある米軍の基地の74パーセントは沖縄に存在している。
それが沖縄の日常であるのだ。
40年前の記念式典で、復帰後初の沖縄県知事になった屋良朝苗(やら ちょうびょう)
さんの、決して手放しで復帰を喜んではいない、苦汁に充ちたスピーチも忘れられない。
多数派の安全や利益のために、少数派が犠牲になるこのシステムは、
沖縄でも福島でも変わりはない。
5月15日が、沖縄復帰記念日。
そしてそれからひと月後の6月15日は、樺美智子さんのご命日にあたる。