今日は小川未明賞の選考会。
迷いつつ迷いつつ、繰り返し繰り返し
作品を読み、「やっぱり、これだ」
と思っていた作品が、大賞受賞!
素直にうれしい。
事務局からご連絡もまだかもしれ
ないので、詳しいことは書けないが。
それにしても、選考というのは、
選考する側のキャパシティの
ようなものを問われるものだ。
最終選考に残った、それぞれの
作品を読んでいたら、久しぶりに
小説を書きたくなった。
母の介護が本格的になった頃から
わたしは小説を書くのを投げてしまった。
エッセイやコラムは書けるのだが、
小説の世界に、わたし自身が入って
いけなかった。
読者としても長編が読めなかった。
今日、同じ選考委員としてお目にかかった
詩人で作家のねじめ正一さんも
作品にも書いておられるように
お母様を介護されている。
先の予定がたたないのが、介護でもある。
いま、母がここにいたら……。
どんな日々を送っているだろう、と時々考える。
母がいてくれた頃、介護をしていた頃、
アフガニスタンへの米国の報復攻撃に反対する集会にも
イラクへの攻撃に反対する集会にもなかなか参加できず……。
申し訳ない思いと、自分の母親だけを考えているのではない
か、という後ろめたさがいつも心にはあった。
ここに母がいま居たら、反原発への姿勢はあっても、
いまほどあちこち飛び歩くことはできなかったかもしれない。
夕刻からの雨が霙にかわって、被災地で今日を明日に
つなぐお年寄りを考える。