2012年2月5日日曜日

2月5日

今日も朝から東京を離れた。
たったいま、戻ったばかりだ。

このところ、ゆっくりと机の前の壁と向かい合い、
机の上に立てかけた母の写真を見ることがない。
母の写真だけではなく、すでに見送った女友だちの写真も飾ってある。

岩波書店で、わたしの本をずっと担当してくださったH・Tさん。
穏やでありながら、凛としたひとだった。
彼女が最後に担当してくれたのが『崖っぷちに立つあなたへ』だった。
原稿にはすべて目を通し、的確なアドバイスをしてくださった。
彼女が生まれ育った成城の駅前の、きれいな喫茶店で、
「わたしに何かあったときは、このひとが後をついでくれるから」と
若い女性編集者を紹介してくださった午後。
「そんなことは言わないで」という言葉を挟ませない、
明快な彼女の口調に、わたしはうなずくしかなかった。
Tさんを結果的に見送ったのが、1月。

その前の年の12月末には、やはりかけがえのないK・Kを見送った。
激しいひとだった。激しいひとの、激しい正義感が、
いつも社会にオブジェクションを唱えていた。

去年の9・19「さようなら原発1000万人アクション」では、
Tさんのおつれあいも娘さんも参加されたという。
ふたりの、心から共感する女性を見送った、あの冬を思い出す。
東京の海際の病院と池袋の病院と。
ふたつの病院の間を、直線で車を走らせた日があった。
Tさん、Kさん。
あなたがここにいたら、いっしょにやっていたことを、
わたし、やってるからね、と
2・11のデモの予定表を見ながら心の中で呟く旅の空。
自分のラストステージについて、
確かな足跡を刻みながら、歩み続けた彼女たち。
いつだって、いっしょだヨと子どもみたいに呟く。