今日も朝から東京を離れた。
たったいま、戻ったばかりだ。
このところ、ゆっくりと机の前の壁と向かい合い、
机の上に立てかけた母の写真を見ることがない。
母の写真だけではなく、すでに見送った女友だちの写真も飾ってある。
岩波書店で、わたしの本をずっと担当してくださったH・Tさん。
穏やでありながら、凛としたひとだった。
彼女が最後に担当してくれたのが『崖っぷちに立つあなたへ』だった。
原稿にはすべて目を通し、的確なアドバイスをしてくださった。
彼女が生まれ育った成城の駅前の、きれいな喫茶店で、
「わたしに何かあったときは、このひとが後をついでくれるから」と
若い女性編集者を紹介してくださった午後。
「そんなことは言わないで」という言葉を挟ませない、
明快な彼女の口調に、わたしはうなずくしかなかった。
Tさんを結果的に見送ったのが、1月。
その前の年の12月末には、やはりかけがえのないK・Kを見送った。
激しいひとだった。激しいひとの、激しい正義感が、
いつも社会にオブジェクションを唱えていた。
去年の9・19「さようなら原発1000万人アクション」では、
Tさんのおつれあいも娘さんも参加されたという。
ふたりの、心から共感する女性を見送った、あの冬を思い出す。
東京の海際の病院と池袋の病院と。
ふたつの病院の間を、直線で車を走らせた日があった。
Tさん、Kさん。
あなたがここにいたら、いっしょにやっていたことを、
わたし、やってるからね、と
2・11のデモの予定表を見ながら心の中で呟く旅の空。
自分のラストステージについて、
確かな足跡を刻みながら、歩み続けた彼女たち。
いつだって、いっしょだヨと子どもみたいに呟く。