ちょっと暖かくなったかな、と感じる土曜日。
とはいうものの、相変わらず一方では積雪で苦しむところもあって、こんな時、
世界地図では小さな日本列島が広い、と感じさせられる。
とはいうものの、やっぱりこの小さな地震大国に原発が存在すること自体、理にかなっていない。
原発を推進したひとたちの中には、理系のひとが多いはずだが、
理にかなわぬことを、事故のリスクから目を逸らし、
すすめるという感覚がわたしには全くわからない。
今日は、羽村市で講演。大勢の方が受講してくださった。
原発の話もした。
「2・11のデモに行きますよ」
そんな声をかけてくださったかたもいらっしゃった。
「覚えていますか?」
遠い昔、わたしが生まれてはじめて出版した長編小説を持参されたかたもおられた。
シングルマザーになることを選んだ、ひとりの女性が主人公だった。
いま読み返すと、穴を掘りたくなるような文章だろうが、
彼女はその本を大事にとっておいてくださったという。
当時彼女は大きな組織の組合の女性部に所属していて、
そこで話をしたことがあったという。
そうして、40年近く前のことだ。
その後、生まれたふたりのお子さんも成人し、少しだけ肩の荷がおりた昨年、
夫は入浴中に突然、亡くなったそうだ。
知的な感じのする、きれいな方だ。
「人生いろいろあるのですね。気持ちの整理がついたら、手紙を書きます」
もっとゆっくりお話しをしたかったが、帰路につく時間になってしまった。
本当に、人生いろいろあるのだ。
それでもひとは、自分の道を歩いていく。
遠い昔に書いた小説も、ある意味では社会の約束事に異議申し立てをする女性だった。
いろいろある人生で、それでもわたしが共感し、書きたいと思うのは、
そういう女性(男性)像であることは、40年がたっても変わらないことであるようだ。
年月によって変わるものと、しかし変わらないものと。
その両方を手に、ひとは自分を生きていくのかもしれない。