東京の桜は満開の時期が過ぎて、
小さな風にも花びらを散らしている。
惜しい気もするが、散りゆく桜もまた風情がある。
若い頃は桜が苦手だった。
というよりも、花見客の喧騒や、
たぶん国花として愛国心を強引に
高揚させるような風潮に「使われる花」
というイメージが先行して、抵抗感が
あったのだろう。
花にはなんの罪もないものを。
いまでも、ひとけの少ない早朝や夜半の
桜を観るのが好きだ。
桜のシーズンになると、なぜか
寺山修司さんを思い出す。
劇作家であり歌人であり詩人でもあり……。
六本木の街。花冷えの夕暮時。
濃紺のピーコートをはおって、歩いておられた
寺山さんの後ろ姿を思い出す。
……見捨つるほどの祖国はありや……という
あの短歌の一節と同時に。
月曜日の終わり。
今夜は原稿を終えたら、『放射能を背負って』(山岡淳一郎 著、
朝日新聞出版)を読む予定。
サブタイトルは、「南相馬市長 桜井勝延と市民の選択」。
…苦しんでも光を探し続ける。生きていく。……
という帯の言葉を見つめている。
著者の山岡淳一郎さんは以前から個人的に注目している
ノンフィクション作家だ。