2012年4月10日火曜日

4月10日

東京の桜は満開の時期が過ぎて、
小さな風にも花びらを散らしている。
惜しい気もするが、散りゆく桜もまた風情がある。
若い頃は桜が苦手だった。
というよりも、花見客の喧騒や、
たぶん国花として愛国心を強引に
高揚させるような風潮に「使われる花」
というイメージが先行して、抵抗感が
あったのだろう。
花にはなんの罪もないものを。
いまでも、ひとけの少ない早朝や夜半の
桜を観るのが好きだ。

桜のシーズンになると、なぜか
寺山修司さんを思い出す。
劇作家であり歌人であり詩人でもあり……。
六本木の街。花冷えの夕暮時。
濃紺のピーコートをはおって、歩いておられた
寺山さんの後ろ姿を思い出す。
……見捨つるほどの祖国はありや……という
あの短歌の一節と同時に。

月曜日の終わり。
今夜は原稿を終えたら、『放射能を背負って』(山岡淳一郎 著、
朝日新聞出版)を読む予定。
サブタイトルは、「南相馬市長 桜井勝延と市民の選択」。
…苦しんでも光を探し続ける。生きていく。……
という帯の言葉を見つめている。
著者の山岡淳一郎さんは以前から個人的に注目している
ノンフィクション作家だ。