2011年5月11日水曜日

5月11日

大震災から2か月。

首相要請を受諾して、浜岡原発が全炉停止が決まった。
中部電力が9日の臨時取締役会で、要請を受け入れ、
数日中に静岡県御前崎市にある全炉を、数日中に停止することを決めたからだ。

それでは、中部電力が首相の要請を突っぱねたら、どうなっていたのか? できレースという一部の噂もわからないではない。
そもそも「浜岡は危ない」という声はずっと以前からあった。
しかし、炭鉱のカナリアのように危険性を指摘する声も、今回の福島第一原発の暴走がなければ、ねじ伏せられていたに違いない。

首相は浜岡を「特例」としながらも、自然エネルギーを基幹エネルギーに「加える」と表明した。他の原発に関して見直しはするのか。
浜岡にしても防波堤ができれば、2,3年後には運転再開である。
それも、経産省原子力安全・保安員の評価を得れば、再開スタートであるのだ。
原発を推進してきた「原子力ムラ」は、そのまま残るということか。浜岡だけは一応、「みなさまのお声もあって、止めてみました」ということなのか。このあたりの真意が不明だ。
運転を再開した、たとえば2年後や3年後に東海地震が来ないと、誰が保証できるのだろう。
今回の停止は、東海地震への不安というだけではなく、ある種のガス抜きと、浜岡原発が暴走すると、「首都圏が危ない」という政治的配慮が後押ししただけなのでは?

浜岡が福井であったら、北海道泊であったら、一時停止を選択しただろうか。
一般市民のいのちへ思いを馳せる想像力を、この国に求めることは全く無意味なのか。首都圏に暮らすものと、別のところに暮らすものの、いのちの重さは違うのか。

折りしも昨日10日、いまもって収束のめどがたたない福島第一原子力発電所から半径20キロ以内の、「警戒区域」に住んでいたひとたちの、一時帰宅がはじまった。わが家でありつつ、防護服に身を包み、第一陣として「わが家に」一時帰宅したのは、川内村の54世帯、92人である。わが家でありつつ、わが家ではなくなった、わが家へ、である。
2時間ほど滞在し、必要なものを持ち出したり、片付けをしたというが、一時帰宅は「自己責任」とするような、ただでさえ苦汁に充ちた帰宅をする人々の神経を逆撫でするような、そのやりかた。
自分たちの責任を回避するために、相手に責任があるように仕向ける「自己責任」という言葉と概念がまたもや、この国を席巻するのか。