以前この欄でもご紹介したが、『まるで原発などないかのように』
(原発老朽化問題研究会・編、現代書館・刊)のタイトルが
いまでもわたしの中で、エンドレステープのようにぐるぐると回っている。
堅牢な防潮堤ができれば、それで安全ということにはならない。
地震、大津波がなければ、それでいい、ということでもない。
原発そのものを問い直すことを、わたしたちは忘れてはならないはずだ。
前掲の本のサブタイトルは、「地震列島、原発の真実」だが、
むしろタイトルのように、いつか「わたしたち」は、「まるで原発などないかのよう」な日常に戻ってしまうのではないだろうか。
いまはまだ多くのわたしたちの意識は、福島第一原発に、そして浜岡へと向いている。
が、やがては、いつかは本書のタイトル通り、「まるで原発などないかのように」
暮らし始めるのではないだろうか。
ひとはみな忙しい。ひとはみな、そのひとなりの悩みや憂いを抱いている。
未決の事項もまた。その中で、わたしたちは「まるで原発などないかのように」ずっと暮らしてきたのだ。
ましてや、派遣切り、人員整理はいまもって続き、大震災以降は
やむを得ずそうせざるを得ない企業や工場も増えている。
考えなければならないこと、取り組まなければならないことが山積みの日常、
「いつまでも原発にとらわれてはいられない、それより雇用が先」という
ひとがでてきても、なんの不思議はないし、そのひとを責めることはできない。
それでもわたしたちは、考えつづけなければならないだろう。
いかなるときでも、原発はいのちにかかわる危険と表裏一体の上に存在することを。
福島、浜岡だけではない。
ほかの原発はどうなのか。福島第二は?
前掲の著書の中で、田中三彦さん(九年間、民間企業で原子炉圧力容器の設計などに従事、その後、自然化学系の著述や翻訳に従事)は、次のように分析し、書いておられる。
「実は、原発推進という国策を最も強力に後押ししているものは、
大都会の人間の、無関心だ。寝ているものを目覚めさせてはならない……
これが原発を推進する行政の暗黙の戦略であるだろうし、
それは同時に、電力会社によるあの呆れたトラブル隠しやデーター捏造の
背景でもあるだろうし、東京という大都会に原発が存在しないもう一つの
理由でもあるだろう。寝ているものを目覚めさせてはならない………」
3月のあの日、わたしたちは、ようやく長い眠りから目を覚ました。
福島の人々の、かけがえないひとやものの喪失の上に、目覚めのときは訪れた。
猫なで声の、子守唄はもういらない。もう、自らを眠らせてはならない。
わたしたちは、「原発列島」の上で、暮らしているのだ。
子どももお年寄りも、みな、それぞれに自分の人生を紡ぎながら。
そのことを改めて心に刻む、5月。
3・11から2か月になろうとしている。