某省から、広報の出演を依頼された。
意味がわからず、どんなことを期待されているのか、訊いてみた。
と、たとえば風評被害に気をつけるとか、そういった呼びかけを
先方は期待されていることがわかった。
確かに風評被害で辛い思いをしている農業従事者や漁業従事者はいる。
しかし、なぜ風評被害が起きるのか。
問題は、わたしたち市民が正確な情報を手にできているか、
正確な情報の発表がされているのか、
当局に対する不信感が大元にあるからではないか。
原発の事故に関しては、情報隠しや、当局の「過小評価」が、あまりにも多かった。
だから、みな不安になり、風評に足を掬われるのだ。
風評被害を気をつけよう、と呼びかける前に、
風評の原因を糾すことが基本であると思うし、
わたしはそうとしか言えない、とお断りをした。
この企画を考えた省庁のひとたちも、本当に心からそう思い、
風評による被害をなくそうと思ってのことかもしれない。
しかし、なあ。
どれほどの市民が不安に怯えているか。
真実を知らされていないのではないかと疑心暗鬼になっているか、
大元はそのままにして注意を喚起する感覚は、
申し訳ないが、わたしには理解できない。
福島の親たちや教師たちが何をおそれているのか。
このブログでも何度も繰り返しているが、
子どもの年間被曝許容量を20ミリシーベルトとする文部科学省規準に、
福島の大人たちは不信感をもっている。
わたしも同感だ。
成人に比して、子どもの放射能の感受性は五倍だと言われる。
さらに、この基準の緩さに対して異議の声があがると、文部科学省も、
内閣府の原子力安全委員会も互いに責任を押し付け合うばかりで、
これも以前、書いたが、決定過程への議事録も残っていないというありさまだ。
五月の連休後、校庭の土の表面を削った自治体もあったが、放射能を計測する計器の確保さえ充分ではないと言われている。
福島市内で、
「健康被害はない。放射能の影響はニコニコ笑っている人にはきません」
と講演してまわっている専門家がいる。
真実であるなら、わたしたちは泣きながらニコニコ笑ってやる。
この専門家は、広島、長崎で原爆被曝をしたかたがたの前で、そう断言してみるがいい。
「ニコニコ笑っている人には放射能の影響はきません」と。
笑っていたものも不機嫌だったものも、みな、
1945年8月6日と9日に被曝しているのだ。
もっとも、この「専門家」は長崎の大学のひとだが。
あまりにもばかにしたもの言いではないか。
今日の東京新聞「こちら特報部」の特集は、まさに「子ども守れぬ」という大きな見出しで、この年間被曝許容量20ミリシーベルトについて、特集している。
以前から「こちら特報部」の特集の愛読者だったが、
原発についての特集はいま、最も優れていると思う。
クレヨンハウスの「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室~Morning study of SilentSpring~」の連続講座にも、
この「こちら特報部」のデスク、田原 牧さん(わたしは、田原さんが書く記事がとても好きだ。確かな市民目線がとても心に響く)を講師としてお迎えすることができた。
詳しい日程は、クレヨンハウスのホームページを。