東京は夕暮れの時間を迎えた。
クレヨンハウスの店頭にはいま、ビオラやパンジー、スウィート
アリッサムなど、春の花が最後の競演のときを迎えている。
小さな蝶々のような形のロベリア(亡くなった母が大好きな花の
ひとつだったが)も、濃い紫、浅い紫、ピンクががった紫と
発光するような眩しい花をつけてくれている。
一見、穏やかな初夏の夕暮れである。
けれど、気持ちは一向に晴れない。見えない恐怖に怯えている。
昨日のブログにも書いたように、福島第一原発、一号機格納容器の
水漏れや、高度汚染水の現状をみると、収束へのゴールはさらに
遠ざかってしまったような。
当初の格納容器を水で満たす「水棺」方式は断念。タービン建て屋に
たまった高濃度の汚染水を浄化し、冷却水に再利用する、いわゆる
循環式を選択するようだ。が、その循環式を確立するにしても、
どれほどの作業が必要であり、どれほどの時を必要とするのか。
そして、どれほどの作業に従事する人々を。
炉心の冷却のために日々500トンの水を注水しているというが、
一号機から四号機のタービン建て屋などには、すでに8万7500トンの
放射能汚染水があるといわれている。六月中を目途に汚染水を浄化。
冷却水として再利用する計画だというが、果たしてシナリオ通りに進むのか。
祈りと憤りが、晴れない心を二分する。
一方、政府と東京電力は避難住民への支援策も17日に発表した。が、
わが家をわが土を、わが郷里を失った漂流感はいかほどのものだろう。
「怒ること自体に疲れました」
そんな住民の声に、喪失の、その深い洞に、誰がどのように応えること
が可能だろう。誰も何も応えられない。
これが、2011年5月の、わたしたちの現実であり、真実でもある。
原発について、もっと知ろう、という土曜の朝の連続勉強会。
参加のお問い合わせが次々に。
詳しくはホームページを。
東京新聞の朝刊の「本音のコラム」でいつも確かな視点のコラムを
書いておられる、作家の鎌田慧さん。彼のコラムの中に
「核燃まいね」という脱核燃の活動を青森で続ける女性のおひとり、
倉坪芳子さんのお名前を見つけた。
「反原発おばさんだけで、あたしの一生が終わるのはいやだ」
20数年前に言っていた彼女は、いまもって核の燃料は要らない、いやだ、
という活動を青森で続けておられるのだ。
当時、女性たちと制作していた「落合恵子のちょっと待ってMONDAY」
という番組に何度も登場していただいた女性だ。
お子さんたちももう、大きくなっておられたことだろう。
地に足つけて、身の丈で、決してひるむことなく活動を続けてきた彼女である。
「そこ」で暮らしながら、「そこ」の多数派といやおうなく対立することへの
苦悩を抱きながら、「そこ」での活動をやめなかった彼女。
お声、聞きたいな。会いたいなあ。
うん、わたしたちも踏ん張っていくよ、倉坪さん。
鎌田慧さんにも前掲の連続講座に講師としておいでいただくようお願いしている。