2011年5月8日日曜日

5月8日

昨日の続きである。
原発が絶対安全というなら、なぜ、もっと人口が多い仙台に
原発をつくらないのか? 女川原発を建設する話がでたとき、
地元のひとに問われ、答えを見つけようとした京都大学の
小出裕章さん。人口の多い地域に原発が建設されないのは
それだけ危険であり、安全神話はでっちあげだと気づいた時から、
彼は「脱原発」を主張しておられる。
さまざまなアカデミック・ハラスメントにさらされながら。
その事実を知って改めて思い出したのが、
本田雅和さんと風砂子・デアンジェリスさんの著書、
『環境レイシズム―アメリカ「がん回廊」を行く』である。
アメリカのがん回廊を丹念に、そうして痛みをもって取材した
彼らがたどりついたのと、小出さんの結論は同じだ。
アメリカでも、人体に明らかなる悪影響があるものを排出する
工場などは、白人たちが暮らすところでも、アッパーミドルの
住居が多い街でも都会でもなく、
貧しいネイティブアメリカン(かつてはインディアンと呼ばれたが)や
アフリカ系アメリカ人、あるいは人種的マイノリティが
居住するところから「切り崩し」にあったという。
雇用先が増える、税収などで町も潤う、といった「アメとムチ」作戦は
原発や核燃料の地にも適用されてきた歴史は、洋の東西を問わず長い。
「環境レイシズム」というタイトルは、人種差別の上に環境問題も
成立している意味である。酷すぎる「棄民」である。
「環境レイシズム」は版元品切れ状態が続いているが、クレヨンハウスでは
おふたりの著者に委託を受けて蔵書しているので、是非お目通しを。
原発の「いま」と恐ろしいほど、重なる言及が多いことに、
あらためて驚愕する。