心配なことがある。
たとえば6月頃、梅雨の蒸し暑さが続き、例年ならば、節電を念頭に置きながらも、除湿機やクーラーをつけようかどうか迷う季節だ。
そのとき、「電力不足」がキャンペーンされたとしたら(たぶん、されるだろう)………。
いま、史上最悪といわれる原発暴走を前にして、自然エネルギーへのシフトを考えはじめた多くも、「やっぱり原発は必要」とまでは言い切れなくとも、「必要悪だね」という結論に落ち着いてしまう流れが出てこないだろうか。
いや、そういう流れを作るためのシナリオがすでに作成されつつあるのではないか、という不安がわたしの中にはある。
浜岡に限らず、すべての原発を停止したとしても、電力は不足しないという。
このことをわたしたちはしっかり学びたい。学ぶための書籍も多々ある。
電力不足という意図的「風評」が、いつ、いかなる形でわたしたちをアタックした
としても、わたしたちは慌てず、立ち止まり、その「風評」の源が何なのか、
しっかり考えたい。
ここ数日、全炉停止となった浜岡原発について、このブログにもいろいろ書いているが、
停止はあくまでも一時的なものであり、防潮堤が完成すれば(2、3年後といわれている)、再開させると首相は言っている。再開させた、その2、3年後に「想定外」(こういった言葉自体、アンフェアだが)の大津波や地震が東海地方を襲ったら………。
新しい防潮堤さえ越えてしまう「未曾有」のそれだったら、どうするつもりだろう。
そのときも、「想定外」というのだろうか。
浜岡に限らず、どこで何が起きても不思議ではないといわれる原発を、地震列島にこれだけ抱え、収束のつかない最悪の事故を目に前にしながら、エネルギー政策の転換については触れない政府とは、一体誰のために存在するのだろう。