2011年5月14日土曜日

5月14日

大阪で朝を迎える。
昨日は東大阪市で、人権についての講演会があった。
多くのかたに集まっていただき、感謝、感謝。
人権は、いつも磨きをかけておかないとすぐに曇ってしまう
鏡のような存在だ。遠くから仰ぎ見るものでもなく、自らが素手に握るものであるだろう。
自分の人権に対してセンシティブでないと、
自分以外のひとの人権に対しても雑になってしまう。
講演の中でも、原発の事故について言及せざるを得なかった。
これほどの「人権侵害」、いのちへの侵害はないのだから。
東大阪での講演を終えて、十三へ向かう。
学生時代(はるか昔だ)、「関西遠征」(遠征というのも穏やかな呼称ではないが)と称して、同志社や関西学院大学や関西大学、立命大などの学生と
ディベートの試合をしたことがあった。
十三は打ち上げのときに訪れたところでもある。
十三と書いて「じゅうそう」と読むことも、そのときに知った。

その十三の第七藝術劇場で、専門家の立場から一貫して原発の危険性を警告し、脱原発をアピールされてこられた、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの講演があるからだった。
ずっとお話をうかがいたい、と思ってきた。
しかし、チケットはすべて完売。
モニターを通してお聞きする第二会場も、当日券が数枚あるのみ、とのこと。
クレヨンハウス大阪店のスタッフが早朝5時30分から並んでくれて、
ゲットしてくれたチケットである。ありがたい。
大阪店のスタッフは、関西のどこかで土・日にはある小出さんの
講演会に参加するそうだが、わたしは13日を逃すと、ずっと先になってしまうので、少々焦っていた。
小出さんのお話をうかがいたいと思った大元には、福島第一原発の、暴走がある。
そしていまもってゴールの見えない現実に怯えるのと同時に
腹を立てて生きているわたしたちだが、
「もっと知りたい」「正しく知りたい」という思いが強い。

一部は上映会。毎日放送が2008年に制作したドキュメンタリー、
「なぜ警告を続けるのか…京大原子炉実験所・異端の研究者たち」。
このドキュメンタリーの存在もずいぶん前に知って、観たかった。
「熊取(地名)六人組」と呼ばれる小出さんたち研究者の日々を追った作品だ。
「原子力ムラ」に属することを拒否し、原発の危険性について警告を発しつづけた6人の、素晴らしき異端たち。いまは小出さんと今中さんのおふたりしか実験所には残っていない。
「異端」であるために蒙った精神的ハラスメントや研究上の実害などについては、詳しくふれてはおられないが、力学のもとでのそれが、どれほど醜く、どれほど時に屈辱的なものであったかは、ささやかながらメディアの中で「メディアとは寝ない」と決めてそうしつづけてきたわたしにも想像できる。

第二部は小出さんと、プロデューサー・今井一さん、
前掲のドキュメントを制作した津村健夫さんとのティーチインだった。
警告を発しながらも、結局は原発事故が起きてしまった
現実に深い悲しみと悔いを抱いておられる小出さんの講演は、
その言葉のひとつひとつが心に突き刺さった。
安全神話を垂れ流し、ひとたびことが起きれば、今度は「安心神話」で、
真実を隠蔽しようとする御用学者の存在に憤りを覚えながらも、
こうしてブログに書くしかなかったのだが…。
HE IS A TREASURE OF US!である。
同時に小出さんや今中さんや、故・高木仁三郎さんや西尾獏さんや
原発の警告をされ続けてきたかたがたに「頑張ってください」
と下駄を預けるのは、間違いだ。
昨夜の会でも突然指名され、しどろもどろになりつつ会場で申し上げたが、
わたしたちひとりひとりがもっと学び、さらに学び、
人間としても深くなり、警告を発すること、
脱原発を生き方として身に付けられるようになることが、
こころから学者とお呼びしたい方々への、わたしたちからのプレゼントになるだろう。
重たいこと、しんどいこと、危険を伴うことを、誰かさんだけに背負わせてはならない。

そんなことも含め、原発について、放射能について、もっと知ろう、
学ぼうという勉強会、モーニング・スタディを
5月28日からスタートする。
一回目の講師は、「脱原発社会」の理論的リーダーでもあり、
80年代後半、クレヨンハウスが原発について学ぼうという勉強会をはじめたとき、講師をつとめてくださった高木仁三郎さんが創設された「高木学校」の一期生、市民科学研究室主宰・上田昌文さんをお招きする。
詳しくは→ http://www.crayonhouse.co.jp/home/event1105.htm#gen