2011年7月11日月曜日

7月11日

今日も猛暑だ。

午前中は移動が続いた。
少し歩くと(立ち止まっても)、我が怒髪の頭頂部から汗が滴り落ちる。
ハンカチーフではなく、バスタオルがほしい。

この暑さの中、朝に時計代わりに観た情報番組では、
さまざまな「節電」の方法が取り上げられていた。
毎日のように取り上げられているようだ。
不要な電気を使う必要はまったくないし、電力会社に余分な料金を支払う必要もまったくない。
だが、熱中症になってまで節電をすることはない、まずは体調だ、と、今朝、出掛けにすれ違った、ご近所のお年寄りに伝えてきたばかりだ。

八十三歳のMさんはひとりで暮らしている。おつれあいは五年前に亡くなった。
「小さな子どもたち、特に福島の子たちを考えると、申し訳なくて。わたしは、第二次世界大戦も、ヒロシマ、ナガサキも、第五福竜丸も知ってるのに、結局、なにひとつしてこなかった」

「だから」というだけではないかもしれないが、Mさんはせっせと節電に励んでいる。
まるで「なにひとつしてこなかった自分」を罰しているかのように。

お年寄り(わたしも高齢者だが)の中には、Mさんのように律儀で、当局の呼びかけにしっかり答えようとするかたもいるだろう。
余分な電気を使う必要は無いが、電力の家庭の消費は企業のそれに比較してきわめて低い。
熱中症になってはいけない。体調を崩してはならない。

それに忘れてはならない。同じ一ヶ月の中で、家庭は使うほど単価(電気料金)が高くなるのに、産業界では使えば使うほどに安くなるのだ。妙な話だ。
産業界も個人の家庭と同じように使えば使うほど電気料金がアップするようになれば、どの産業も当然ながら3、4割は節電するはずで、それだけでもピークは超えられるという試算もある。

メディアも、このあたりのことをもっと強調していいはずだ。