曇天の土曜日。
昨夜は、昨日あたりから書店に並んだ拙著『「孤独の力」を抱きしめて』(小学館)のご担当の女性ふたりと、打上げを。
話題はやはり福島第一原発について。
「なんだかこうして食事をしていることが後ろめたい」
「そう、3・11以降、ずうっと」
署名でもなんでも自分のできることから一つ一つクリアにしていこう、
現行では無理だが、なんとか「国民投票」を、といった声も。
現行の「国民投票」は、憲法というテーマにのみ限られている。
しかし民意の反映は民主主義の基本である。
来週にも、国民投票をしようと呼びかける会のかたがた
(わたしも賛同人のひとりだが)が国会で記者会見をする。
被災地支援のために出張で現地に入り、被災地の山菜を
たくさん購入することで、もうひとつ別の支援を考え、
実行した父であり夫であるひとから、メールが。
放射性物質が最も被災地近隣の空中に飛散したときの、山菜を、
愛する子どもたちに沢山食べさせてしまった………。
それを悔やむ自分がいまいる、給食の食材も不安だ、と。
放射能に対する感受性は、特に胎児や子どもが強い。
「基準値」があること自体、問題だ。どんな少量でも本来、
体内に取り込んではならないものであるのだから。
体内にとりこむことは内部被曝になるのだから。それでも
取り込んでしまったものをできるだけ排出する方法はある。
とにかく、それを「基準値」を敢えて設けることで、
曖昧にしてしまうような流れに、本当に腹が立つ。
今日はこれから岡山へ。