2011年7月12日火曜日

7月12日

毎週、今日はどの週刊誌の発売日、と頭に入っている。
政治的スタンスが、わたしとは違うなという週刊誌も読んでいる。
同じテーマでも、全く違った角度から書かれているのも、ある意味、興味深い。
中には、わたしを怒らせてくれる記事もあるのだが、
それも含めて、「勉強」だと思う。
原発に関しては、『週刊現代』も
東京新聞「こちら特報部」と同じスタンスで踏ん張っている。

週刊誌の世界では旧聞に属するかもしれないが、
7月9日号の特集に、次のようなフレーズを発見した。
物理学者の武谷三男さんの言葉だ。
「原発は、危険だと言う人が扱ってこそ、辛うじて安全なものができる。
安全だという人が扱えば、こんなに危険なものはない」
マリー・キュリーや夫ピエール・キュリー、
ここ数か月、わたしたちがよく耳にする「ベクレル」のおおもと、
放射能の第一発見者アンリ・ベクレルの生涯を追った記事で
紹介された武谷さんの言葉である。
原発は、危険だというひとが扱っても危険なものではあるのだが、
「安全だというひとが扱って」きたのが、フクシマの悲劇と直結する。