2011年7月28日木曜日

7月28日

3・11から3か月がたった6月11日、
広島の原爆ドームの前で、福島のひとりの女性、
宇野朗子さんがスピーチした内容については、
6月のこのブログで紹介させていただいた。
「目を凝らしましょう」と呼びかけた彼女は
スピーチの中で、福島のあの原発に作業員として向かう息子を、
ただただ祈るように見送らなければならない
母親の嘆きについても語っていた。

その事故収束に当たる作業員の、
被曝線量の上限値を、経済産業省原子力安全・保安院が「緩和」を要請するよう、
厚生労働省に働きかけていたことがわかった、
と28日の東京新聞朝刊が報道している。

すでに被曝線量の上限を、
通常の年間50ミリシーベルトまで緩和していたが、
福島第一での被曝量は、通常時の上限値を含めないよう緩和を要請。
従来、50ミリシーベルトを超えると1年間ほかの原発では働けなくなるところを、
5年間で100ミリシーベルトを超えない範囲なら作業を続けてもいい、
と4月25日の時点で厚生労働省が保安院に伝えた、というニュースである。
最悪の場合、2年間で、トータル350ミリシーベルトまで
被曝が認められるということであるようだ。

現場で作業されているひとも、その家族も多くが被災者でもある。
8割近くがそうではないかとも言われている。
同じ東京新聞の28日付「こちら特報部」では、
県の放射線健康リスクアドバイザーを委託され、
「放射能はニコニコ笑っている人には来ない」などの発言で、
福島のひとたちを憤らせた長崎大のY氏が、
福島県立大学の副学長に就任した報道がなされている。
言葉は文脈で解釈されるべきではあるが、
いま、なぜ!という県民の疑問は自然なことであるだろう。