原発を再推進しようとする人々は
「行程もスムーズにいって、収束に向かっている」
そう言っている。
彼らが「収束」に向かわせようとしているのは、
「脱原発」の流れではないか。
ひとは絶え間ないストレスを
抱きつづけることに、どこかで疲れてしまう。
生物学的にも、それを回避しようとする。
回避の方法はいろいろあるのだろうが、
もっとも平易な方法は、ストレスから逃げるか、
ストレスを忘れるか、ストレスに「慣れてしまう」かである。
おおかたのわたしたちは、「逃げる」ことはできない。
とすると、慣れるしかない。
脱原発の「収束」は、推進する外部からもすでにはじまっているし、
同時にわたしたちの内部からも慣れる、という形ではじまるかもしれない。
わたしが最もおそれているのは、
まさに、この「内部崩壊」だ。
今朝も何冊かの原発を学ぶ本を抱えて、
新幹線に。