「疑ってかかる」という姿勢を身につけざるを得ない日々を送っている。
その言葉を発するものが、この社会の政治を司り、
わたしたちをいやおうなく、ある方向へ導くものであればあるほど。
わたしたちの内に、外から入ってきて根付き、
いつの間にか、わたしたち自身の価値観になってしまったものも、
わたしたちは疑ってかからなくてはならない。
便利といった概念も。効率といった区分けも。
もしかしたら、もっとも個人的なものであるはずの、幸福の概念もまた。
どれが自前のものであり、どれが無意識のうちに取り込んでしまった外からの「核種」であるかについても。
母を在宅で介護していた頃、時間的な余裕はなかった。
それでも、前のめりになりがちなわたしの日々に、
むしろ「もっとゆっくり」と快いブレーキをかけてくれていたのは、
わたしを前のめりにさせているはずの、母という存在そのもの、
自らの暮らしを誰かの手に委ねなくてはならなかった母という
「いのちの原形」であったかもしれない。
「いのち」は急ぎ足を求めない。
突然の急変に、医師に緊急の電話をするときでさえ、
ここに在る「いのち」は、わたしに「やわらかな」感触を贈ってくれた。
この、いのちの手触り、いのちの呼吸、いのちの鼓動、いのちの温かさ。
それらは、荒々しく猛々しいものとは共存できない、
もっと深く、もっと緻密でありながら、
緩やかな生の営みであったはずだ。
今でも覚えている。
最後の最後まで聞こえた、母の心臓の鼓動を。尿の温かさを。
途切れがちになりながら、取り戻した脈の「不確かな、けれど確かさ」を。
ひとが、決して平坦とは言えない人生の、その最後の扉を閉める瞬間。
そこに放射性物質の恐怖などあってはならないのだ。
ヒロシマ、ナガサキを体験したわたしたちが、
最も熟知しているはずの「いのち」のやわらかなルールを、踏み外してしまったのだ。
その罪(CRIMEであり、SINでもあるが)を償うために、わたしたちは、選択をする。
猛々しさや荒々しさや、誰かの表面的な充実のために、
誰かが犠牲になるシステムを、
いま、ここから変えるために。
福島浅川町から出荷された牛肉から
放射性セシウムが検出されたというニュースは耳新しい。
浅川の場合も、県が実施する集荷時調査の対象外であったが、
全頭調査が急がれる。
放射性セシウムが検出されたというニュースは耳新しい。
浅川の場合も、県が実施する集荷時調査の対象外であったが、
全頭調査が急がれる。
しかし調査は福島だけでいいのか。
どこかほかの地域に雲にのって飛んでいっていないか?
どこかほかの地域に雲にのって飛んでいっていないか?