2011年7月15日金曜日

7月15日

わたしたちはいま、悲しいことに
「疑ってかかる」という姿勢を身につけざるを得ない日々を送っている。
その言葉を発するものが、この社会の政治を司り、
わたしたちをいやおうなく、ある方向へ導くものであればあるほど。
わたしたちの内に、外から入ってきて根付き、
いつの間にか、わたしたち自身の価値観になってしまったものも、
わたしたちは疑ってかからなくてはならない。

便利といった概念も。効率といった区分けも。
もしかしたら、もっとも個人的なものであるはずの、幸福の概念もまた。
どれが自前のものであり、どれが無意識のうちに取り込んでしまった外からの「核種」であるかについても。

母を在宅で介護していた頃、時間的な余裕はなかった。
それでも、前のめりになりがちなわたしの日々に、
むしろ「もっとゆっくり」と快いブレーキをかけてくれていたのは、
わたしを前のめりにさせているはずの、母という存在そのもの、
自らの暮らしを誰かの手に委ねなくてはならなかった母という
「いのちの原形」であったかもしれない。

「いのち」は急ぎ足を求めない。
突然の急変に、医師に緊急の電話をするときでさえ、
ここに在る「いのち」は、わたしに「やわらかな」感触を贈ってくれた。
この、いのちの手触り、いのちの呼吸、いのちの鼓動、いのちの温かさ。
それらは、荒々しく猛々しいものとは共存できない、
もっと深く、もっと緻密でありながら、
緩やかな生の営みであったはずだ。

今でも覚えている。
最後の最後まで聞こえた、母の心臓の鼓動を。尿の温かさを。
途切れがちになりながら、取り戻した脈の「不確かな、けれど確かさ」を。
ひとが、決して平坦とは言えない人生の、その最後の扉を閉める瞬間。
そこに放射性物質の恐怖などあってはならないのだ。
ヒロシマ、ナガサキを体験したわたしたちが、
最も熟知しているはずの「いのち」のやわらかなルールを、踏み外してしまったのだ。
その罪(CRIMEであり、SINでもあるが)を償うために、わたしたちは、選択をする。
猛々しさや荒々しさや、誰かの表面的な充実のために、
誰かが犠牲になるシステムを、
いま、ここから変えるために。

福島浅川町から出荷された牛肉から
放射性セシウムが検出されたというニュースは耳新しい。
浅川の場合も、県が実施する集荷時調査の対象外であったが、
全頭調査が急がれる。
しかし調査は福島だけでいいのか。
どこかほかの地域に雲にのって飛んでいっていないか?