四回目の朝の教室が開かれた。
講演が苦手とおっしゃる西尾漠さんは、淡々と、いまわたしたちに
必要な視点と姿勢について、喧伝されている「電力不足」について
語ってくださった。けれん味もないおはなしだった。
会場からの質問に、西尾さんは「それは、ぼくにはわかりません」
と応じられる場面もあった。
なにもかもをひとりが答えることはできない。そんなとき、
「わかりません」と言えるひとは、逆説的に言うなら、
信じられるかただとわたしは考える。
詩人茨城のり子の「汲む」という作品に登場する言葉だが、
わたしたちは「初々しい」感受性を失ってはならない。「すれっからし」になってはならない。
………年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
………すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと………
そんな一節を思い出す瞬間があった。
十七歳の若い女性からの発言もあった。真っ直ぐな目をした女性だった。
チェルブイリ原発事故当時、この女性と同じように、17歳で原発のこわさに
気付いた当時の少女や少年も、いまはすでに四十代。
あの頃の真っ直ぐな思いをそのまま、自らの中に抱きつづけているだろうか。
次回は、今回の朝の教室でも話題になった「メディアの現在」という切り口から、
東京新聞「こちら特報部」(ほんとうに踏ん張った、いい記事を特集している)のデスク、田原牧さんを講師にお招きする。