夕方に東京を発って、旅先でこのブログを書いている。
風邪も回復に向かっている。
2012年も、さあ、がんばるぞ、である。何に?
むろん脱原発。まずは国内の、目指すは世界中の原発を止めることだ。
たとえいつかそれが実現したとしても、それをわたしが見届けることはできないだろう。
間もなく67歳になる。
あと、どれくらい現在のペースで書いたり語ったりできるかはわからないし、
現在は健康だが、いつどうなるかもわからない年代ではある。
もともとそういう指向が強かったが、このいのち何を惜しむ、
という感覚が、母を見送ってからは特に強い。
母を介護していた頃は、アフガンへの「報復攻撃」やイラク進攻の反対集会などに参加をして話をする、
時間的な余裕を作るのが難しい日々もあった。
それが絶えず、わたしの後ろめたさにつながっていたのも事実だ。
わたしと違って母は穏やかなひとであったが、2011年のあの日以来、
この国で起きたこと、起きていることを知ったなら、
母もまたせっせと署名集めをしてくれたに違いない。
「難しいことはわかんないよ」と言いながら、
ごくごく素朴な正義感を、自らの人生のベースに置いて生きたひとだったから。
それにしても、4号機についてのニュースがない。
1月1日の地震で、スキマーサージタンクの水漏れがあったのではないか
というベタ記事が数日遅れで出て以来、わたしに見落としがなければ、音沙汰なしである。
新年の休刊日には、セシウムの値が急上昇しているという情報がネットでは飛び交っていたし、
いまでも飛び交っている。
SPEEDIの情報公開を「パニックを避けるため」(と当局は言っている)に大幅に遅れさせたせいで、
自分たちが暮らすところより、はるかに放射能が高い地域に避難した福島の人々の無念さと悲しみを、
わたしたちは忘れることはできない。
風評被害は、こういった情報公開の遅れや隠ぺいで起きる場合が多いこともまた、わたしたちは知っている。
一体、どうしたのだろう。
わからない。