2012年1月19日木曜日

1月19日

関西電力大飯原発3号機、4号機のストレステストについて、原子力安全・保安院が,
「妥当」とする審査書案をまとめたというニュースがあった。
傍聴を望む市民を締め出しての会である。
自分たちの暮らしにかかわる会であるのに、
主役である市民がなぜ締め出されなくてはならないのか。
たとえ彼らが少々声を荒げたとしても、乱暴な言葉を使ったとしても、
国が、そして保安院がいままで、そして福島の苛酷事故のあともとってきた姿勢を考えるなら、
どちらが罪深いかは自明のことだ。

人権について考えるとき、わたしはいつも思う。
「足を踏まれた側」が何度となく忍耐を強いられ、最後の最後に発した言葉と声音をとらえて、
「感情的」だとか、「ヒステリック」だとか、誰が断罪できるのか。
「足を踏んできた側」こそ問われ糾弾されるべきことを、
なぜ「踏まれてきた側」が問われなければならないのか。
枝野さんは、どちらを責めているのか。
福島第一原発の原発暴走をめぐる政府などの最終報告書がまだでていないというのに、
もう再稼働なのか。
ストレステストを再稼働の可否に使うことに対して、専門家からは疑問の声がすでにでている。
またもや、この国は、あらたなる「安全神話」を土台に、再稼働に踏み切るのか。
こんなめちゃめちゃなことが通ったら、
大飯3・4号機が前例となり、次々に再稼働GO、であろう。