2011年4月5日火曜日

4月5日

「安全」から「安心」へ。神話はさらに作られる

「安全神話」をタテに、原発推進を勧めつづけていた
元原子力安全委員16名が、緊急の「建言」を提出したのは
3月30日のことだった。

原発の「いま」はきわめて深刻な状態である、と。
推進をした専門家すら、そう建言せざる得ないのが、
わたしたちの「いま」である。にもかかわらず、
この「建言」を報道したメディアがどれほどあったのだろう。
注意深く、新聞やテレビをチェックしているつもりだが………。

わたしが見落としたのか、それらを報じる記事や
番組内でのコメントにまだ出会えていない。
単なる見落としかもしれない。けれど、この「建言」は、
なんらかの意図のもと、ニュースにならなかったのではないか………。
どこかで、懐疑的になっているわたしがいることも確かだ。

「過少評価」されてきた、いままでの原発事故を考えると、
より神経質にならざるを得ない。
風評被害に気をつけろ、と政府は言う。確かに
風評被害はおそろしい。奇しくも関東大震災の時も、
風評によって、多くの在日のかたがたが被害に遭った。
大震災という自然災害を、「暴徒化した」彼らの仕業
だとする風評が流れたためだ。
風評はそれゆえに気をつけたい。しかし、原発事故に
まつわる様々な噂は、わたしたち市民が充分にして
正確な情報を得られていないのではないか、という
不安と不信から生まれる部分も少なからずあるはずだ。

今までがそうであったなら、いまが例外と誰が保障してくれるのか。

眠れぬまま、3月末には「災害ユートピア」(R・ソルニット著、亜紀書房 刊)を読んだ。
サンフランシスコ地震、ハリケーン、カテリーナ、そして9・11のテロ等、{HELL}(原題に入っている地獄、という意味)を生きた人々を取材したノンフィクションだ。

自らがこの上ない大惨事の中にありながら、ひとはなぜ、ほかのひとに手を差し伸べようとするのか。自らも深く傷つきながら、ひとはなぜ、より過酷な状況にあるひとのために役立とうとするのか…。

本書に登場するひとびとの姿と、東日本大震災で
被災されたかたがたの姿が重なる。
ひとはやはり、信じるに足る存在である。しかし、
政・官・業・学・メディアが一体となって流布してきた「安全神話」は………。
それが崩壊した今度は、「安心神話」を流布しようというのか。
ここ数日、専門家のコメントも微妙に変化してきているが。

「安全」から「安心」へ。神話は大震災の中でも、
こうして作られ続けていくのか。