「安全」から「安心」へ。神話はさらに作られる
「安全神話」をタテに、原発推進を勧めつづけていた
元原子力安全委員16名が、緊急の「建言」を提出したのは
3月30日のことだった。
原発の「いま」はきわめて深刻な状態である、と。
推進をした専門家すら、そう建言せざる得ないのが、
わたしたちの「いま」である。にもかかわらず、
この「建言」を報道したメディアがどれほどあったのだろう。
注意深く、新聞やテレビをチェックしているつもりだが………。
わたしが見落としたのか、それらを報じる記事や
番組内でのコメントにまだ出会えていない。
単なる見落としかもしれない。けれど、この「建言」は、
なんらかの意図のもと、ニュースにならなかったのではないか………。
どこかで、懐疑的になっているわたしがいることも確かだ。
「過少評価」されてきた、いままでの原発事故を考えると、
より神経質にならざるを得ない。
風評被害に気をつけろ、と政府は言う。確かに
風評被害はおそろしい。奇しくも関東大震災の時も、
風評によって、多くの在日のかたがたが被害に遭った。
大震災という自然災害を、「暴徒化した」彼らの仕業
だとする風評が流れたためだ。
風評はそれゆえに気をつけたい。しかし、原発事故に
まつわる様々な噂は、わたしたち市民が充分にして
正確な情報を得られていないのではないか、という
不安と不信から生まれる部分も少なからずあるはずだ。
今までがそうであったなら、いまが例外と誰が保障してくれるのか。
眠れぬまま、3月末には「災害ユートピア」(R・ソルニット著、亜紀書房 刊)を読んだ。
サンフランシスコ地震、ハリケーン、カテリーナ、そして9・11のテロ等、{HELL}(原題に入っている地獄、という意味)を生きた人々を取材したノンフィクションだ。
自らがこの上ない大惨事の中にありながら、ひとはなぜ、ほかのひとに手を差し伸べようとするのか。自らも深く傷つきながら、ひとはなぜ、より過酷な状況にあるひとのために役立とうとするのか…。
本書に登場するひとびとの姿と、東日本大震災で
被災されたかたがたの姿が重なる。
ひとはやはり、信じるに足る存在である。しかし、
政・官・業・学・メディアが一体となって流布してきた「安全神話」は………。
それが崩壊した今度は、「安心神話」を流布しようというのか。
ここ数日、専門家のコメントも微妙に変化してきているが。
「安全」から「安心」へ。神話は大震災の中でも、
こうして作られ続けていくのか。