2011年4月9日土曜日

4月9日

………「ヒーロー」を作ってはいけない………

「ヒーロー」が待望される社会は、決まって
不穏で不安な時代である。
市民にとって、暮らしやすい時代では決してない。

福島原発の危険きわまりない現場で
日夜作業に従事するひとたちには頭が下がる。
しかし彼らをを「ヒーロー」に祭り上げることは、
ことの本質を隠蔽することにならないか。

原発の事故がおきなければ、
そうして、わたしたちが原発の危険性にもっと
センシティブであったなら、違った選択をしていたら………。
「彼ら」は、「いま」、「いのちがけ」の作業
に従事する必要などなかったのだ。

たったひとつしかない「いのち」をかけることの
無残さ、無念さ、残酷さこそ、わたしたちは
考えるべきではないだろうか。
東電の「協力会社」(呼び方を変えただけのことであり、
「下請け」「孫請け」であることに変わりはないだろう)の代表が、
テレビのインタビューで語っていた。

「ヒーローなんかになりたくはない」
「安全だと言われ、安全だと信じていた」
「お年よりに(原発は)大丈夫かい? と訊かれると、
安全じゃなかったら、原発から六キロのところに
俺だって住まないよって、ずっと言ってきた。なのに!」

子どもがいるだろう。老いた両親もいるかもしれない。
愛する妻だって。そんな、わたしたちと同じ生活者が、
「いのちがけ」で危険極まりない作業をしたい、と誰が思うか。

インタビューに応えた、この協力会社の代表の顔には
モザイクがかかっていた。
なぜ彼は、顔にモザイクをかけ、名前をだすことなく、
インタビューに応じたのか。そこにこそ、
強大な力学があることを忘れてはならない。

「ヒーロー」は要らないのだ、もしわたしたち
の暮らしが本当に安全と安心に充ちていたなら。