今朝の新聞1面読み比べで驚いたこと。
東京新聞「浜岡3号機の再開計画 中部電、7月までに
きょう公表 業績見通し決定」の見出し。
他紙にはない。福島原発事故その後の報道が、
日を追うごとに、どんどん鈍くなっているようだ。
いったい、わたしたち大人は何をしていたのだろう。
自己嫌悪に陥る。
チェルノブイリの原発事故。あのあと、わたしたちクレヨンハウスも
脱原発の理論的リーダーと言われた高木仁三郎さんたちをお迎えして
講演会を開いたり、勉強会や上映会をやったり、
「原発を考えよう展」を主催したりしてきた。
折に触れて、「脱」を訴えてきたはずなのに、
ささやかながら活動をしてきたはずなのに………。
ここ数日,ブログに書いている「馴れてはいけない」は
まずは自分自身に向けてのメッセージなのだ。
異議あり、と声をあげながら、結局、わたしは馴れて
きてしまったのかもしれない。馴らされてきてしまったのかも。
それが「いま」であるのだ。
気なることが多すぎた。次々に起きる事件や事象や
理不尽な出来事に優劣をつけることはできず、
異議ありと声をあげ続けていたつもりだが………。
これが馴れてしまうことなのだ、馴らされることなのだと、
痛感させられる。
チェルノブイリ事故から25年。
「チエルノブイリは終わっていない」と述べた
旧ウクライナ地区周辺で活動する医師の言葉がツブテとなる。
きれいな海。そこで暮すトビウオの家族や仲間たち。
何かが爆発して、海が突然変わる。
おとうさんトビウオもどこかに行ったっきり、帰って来ない。
なにか変だ、と、いや、いつもと同じだろう、と。
不安と、その不安をねじ伏せる思いに,心を二分されたまま………。
汚染されつづける海の中で、トビウオのぼうやは………。
いぬいとみこさんの絵本『トビウオのぼうやはびょうきです』(金の星社)を
何年ぶりかで開く。
クレヨンハウス一階、子どもの本のフロアでは、
先人たちが本の中に遺していってくれたメッセージを集めている。