わたしたちが置かれた現実を知るのはおそろしいことではあるが、
「知らない」こと「知らされない」ことはなおさら、わたしには
恐ろしいことのように思える。
『週刊現代』4月30日号は、「原発列島ニッポンの恐怖」という
なかなか読みごたえのある特集を組んでいる。
特集には、今月のはじめにこのブログにわたしも書いた、
3月30日に元原子力安全委員会の16名が提出した「建言」に
ついても、フォローした記事がある。
原子力安全委員会といえば、言うまでもなく原発推進派である。
少なくとも過去に、推進のために「動いた」ひとたちである。
その推進派が緊急に建言をしたのだから、それほどまでに福島第一
原発は危機的状況にあると言わざるを得ない。にもかかわらず、
その建言を報道した記事をわたしはまだ見つけられないでいる、
というブログを書いたのだった。状況は刻々と変化し、
3月30日と現在とではまた違っているが。
『週刊現代』4月30日号によれば、「だが、覚悟の『建言書』は
メディアにも政府にも無視された格好だ」という。
4月1日に彼らが開いた「記者会見には多くの記者が集まったが、
取り上げたのはごく一部のメディアだけ。政府にいたっては、
その建言書の受け取りさえも拒否したという」と記事にはある。
原発を推進してきた「原発ムラ」の一員であった専門家の建言で
あるために、見出しコピー(編集部がつけたものだと思うが)の
次の文言はより心に迫る。
……「原発は安全だと言い続けた私たちが間違っていた」……。
いまさら、という気持ちも正直ないではないが、記事に記された通り
なら、政府はなぜ建言書の受け取りを「拒否」したのだろう。
さらにこの特集には、自民党の河野太郎議員も登場する。
例によって見出しから紹介すると……、
……「原発反対の私が受けた嫌がらせの数々」……。
インタビュー記事にまとめたのは編集部だろうが、彼は次のように発言している。
「……ほとんどの議員はその程度の理解力で、いわば原子力政策の
負の部分に目をつぶり、利権にしがみついて原発を推進してきたのが
過去の自民党なのです」(太字、筆者)
「現在の自民党議員」の彼がそういうのだ。
以前にも書いたが、原子力発電は、政・官(現・経産省)・業界・
アカデミズム、そうしてメディアの一部も加わって推進されてきた。
原発が安全だという「神話」は完璧に崩壊したいまでも、
こんな言葉が聞こえる。いたずらに不安を煽るのは問題だ、と。
一面の真理であることまで否定する気はない。
しかし、こうは考えられないか?
最悪の場合を想定し(もう、「想定外」という言葉は使えない)、
その結果が「憂慮したほどではなかった」というのなら、わたしたちは
祝杯をあげようではないか。被害を小さく見積もって、結果が最悪で
あったときのほうがはるかに罪深いと言えないか?
少なくともわたしはそう考える。そのためにも、わたしは「すべて」を
知りたい、一市民として知る権利があるのだ。
節電のせいで、都会のあちこちに突如できた暗がりで、若い女の子と
男の子がキスをしていた。邪魔をしないように、そっと通り過ぎて、
わたしは思う。彼女と彼が三十代、四十代、そして現在のわたしの年代に
なっている頃、この社会はどんな時代を迎えているだろうか。
いや、何十年後ではない、わたしたちは明日すら見えない今日を
生きているのだ。