2011年4月14日木曜日

4月14日

被災地の子どもたちに本を送るわたしたちの活動、「HUG&READ」を
立ち上げて、新しい形のネットワークができつつあることを実感している。

長い間、いろいろな運動体にかかわってきた経験から、
今回の「HUG&READ」を立ち上げるについて、幾つかの自分との約束を決めた。

1・この活動は、むしろ「これから」といつも考えておくこと。
ここまできたら、いいや、と思わないこと。
途中で、おりないこと。
最後の一冊が、たとえ来年、あるいは数年先にわたしたちの手元に
届いたとしても、被災地の子どもに送ること。
手をあげるのはむしろたやすい。続けることが基本だ、と。

2・本をお送りくださった個人はもとより、出版社にも、
できるだけ早く「受けとりました」というご連絡をまずすること。
それぞれが忙しい日常の中で、わたしたちの活動に共鳴して、
わざわざ本を送ってくださっている。育児中のかたからも
沢山いただいてきた。介護中のかたもいらっしゃる。

一段落したところでご報告とお礼の手紙はむろん予定しているが、
その前に、まずは「受け取りました!ありがとう」をお伝えしたい。
それが、プロジェクトを立ち上げた責任だと考えた。

ちょっとおおげさなもの言いをしてしまうと、この活動を通して、
運動体が持ちやすい、ある種の性格のようなものを変えたいという
密かな思いがあることも確かだ。

言葉にすると、「なんだ、そんなこと」になるのだが、
「丁寧に、デリケートに、かつ敏速にタフに」である。
「敏速」を優先させると、「丁寧にデリケートに」が後回しになる。

「タフ」のボタンをかけ違えると、「雑に」なる。
これらは、かつてわたしがかかわった様々な運動の中での、
自らへの反省から生まれたものだ。

理想も志も素晴らしいのだが、センシティブな人間関係を
後回しにして動きだすと、結局は、誰かが傷つく。理想や
志のためなら、少々のトラブルは仕方ないとするか、
理想や志があるなら尚のこと、少々のトラブルも排していく
努力を続ける意志の力を、プロジェクトそのものがどこまで
持続できるか、だ。

老眼のわたしには、日に日に増えていく電話のリストをもって
(かけがえのない個人情報だから注意して)、仕事の移動の間に
電話をかけ続けると、目はしょぼつくし、声は枯れる。

それでもお礼を言うべきわたしが「ありがとうございます、何か
したかったのに、納得できるやりかたが見えずに自分を責めていました。
ひとつひとつ電話してるんですか?大変でしょう。ご自愛ください」
と、かえって労わっていただき、恐縮する。
「本の仕分けぐらいお手伝いしますよ。ボランティアが必要なときは、
ブログで募集してくださいね。すぐに駆けつけます」
そんなやさしい励ましにも出会える。
「84歳で、なんにもできない自分がいやになって
いたんですが………。ありがとう」
そんな言葉に出会うたびに、胸がいっぱいになる。

ドイツの脱原発のデモ25万人、などという報道に接すると、
「この国は………」と落ち込むが、いやいや、そんなことはない。
「市民」は素敵だ、みな、「自分にできること」を必死に探している。
それぞれの事情があって、立ち上げた活動を一時休止というところも
あるようだが、「HUG&READ」はこれからも続けていく。

のどアメ舐めながら、老眼鏡を作り直さなくてはならないな、と思いながら、
「あの子」の気持ちをHUGするために、「あの子」が胸に一冊の絵本を
HUGする瞬間に向けて、落合、電話と親密な日々を続けている。
しかし、電話もなあ、使いすぎては電力問題なんだよなあ、と思いつつ。



ところで、「原発暴走」(暴走させたのは、わたしたち人間だ)
のニュースがなぜか少々トーンダウンしたように感じるのは
わたしだけか?

復興はむろん基本だが、不安は多々ある。福島の第一号原発がいま
どうなっているのか。危険なこと、パニックになることは
「市民」に知らせず………という従来の原発事故のありかたを考えると、
懐疑的にならざるを得ない。なにか隠していないか?と。

エイドリアン・リッチの言葉ではないが、具体的に嘘をつかなくとも、
「沈黙でも嘘をつく」ことはできるのだ。妙に沈静化した報道を
みていると、この「沈黙という嘘」という言葉を思う。

さらに、この国の原発の専門家と呼ばれるひと、
技術者と呼ばれるひとたちのほとんどは、福島原発に、その存在も
その意識も集中させているのが「いま」だろう。
そんなときに、この国に50数個もある、どこかの原発に何か
トラブルが起きたとしたら………。どうするのか。
素人でも、なぜいまになってこんなことを?と思うようなミスや
トラブル続きの福島原発の暴走を見ていると、どこかで同じ類の
トラブルが起きないという保障はない。
そのとき、誰がどのチームが駆けつけるのか。無人ロボットさえない
(アメリカのそれも結局は使えなかったと報道にはあるが)、この国は
またもや「想定外」で目を逸らすつもりか。

津波や地震だけではなく、原発そのものの「老朽化」もすすんでいる。
いつ、どこで事故が起きても不思議ではない。
この地震列島で、原発が可能にしたものは一体何だったのか。
そして奪ったものは?

「安全に操業を復興」することが、わたしたちのこれから、なのか。
「原発は安全だという神話」が崩壊した今もなお、それを言いつづけるのか。